ちょっと展開に急いた感が有るので、この辺は調整入れないとですね
後悔したのは、1月5日の事だった。
「俺、葵さんの事が、好きです」
あれからも一日おきのペースで会って。何をするでもなく、喫茶店で長い間話したりする程度の事を続けていた。その日も、喫茶店の個室に入り、延々と貴俊の話を聞いていたら、突然その告白が始まったのだった。
「……? はあ、ありがとうございます」
「葵さんほど優しくて、素敵な人を俺は他に知りません。それにとっても美人だ。だから、俺なんかと釣り合うわけが無い、と思う、だけど……でも、でも思い切って言おうと思います!」
「……え……」
「好きです、葵さん! 俺と……俺とお付き合いして下さい!」
そう言って、貴俊は深々と頭を下げた。
最初に思ったのは、コイツはバカじゃないのか、という事だ。
ついこの間、女にフラれたと言って、まさにこの部屋で泣き喚いていたというのに。なんという切り替えの早さ。いや、恐らく逐一相談に乗っていたから、勘違いされたのだろう。よしておけばよかった、と思っても、もう遅い。
「……私、男ですよ?」
とりあえず判りきっている忠告をしてみると、貴俊はそのままの姿勢で「はい!」と答えた。
「判ってます、俺がおかしな事を言ってるのぐらい……でも、でも俺は今、どうしようもなく葵さんが好きだ! でも嫌なら断って欲しい……嫌な物は、嫌だろうし……」
ああ、嫌、嫌だね。そう思ったが、貴俊を傷付けずに断る言葉が見つからない。そもそも、そんな配慮をしている事がおかしい。貴俊がどう思ってどうなろうが、知った事ではないはずだ。ここはキッパリ、断るべきだ。
そう考えながら、貴俊の頭を見る。未だに下げられたそれからは、死刑宣告でも受けるかのような緊張と、絶望感が滲み出ている。
(……断るべきだ。間違いなく。お互いの為に)
判っているのに、判っていたのに。
「……貴俊さん、我々はまだ、お互いの事をあまり知りません。……まずは、友人、から、始めませんか」
口をついて出たのは、そんな意味のわからない提案だった。
1月6日
「俺は何をやっているんだ……本当に」
全く、悩みごとが尽きないせいか、頭が痛い。今年は正月から散々だ。意味のわからない事ばかりで、体が重くて仕方ない。頭痛薬を飲んで、椅子に腰かけて居ると、後ろからヒュウガが声をかけてくる。
「でも、先輩、OKしちゃったんでしょ?」
久しぶりに現れたと思ったら、生意気な口を利く。淹れてくれたコーヒーを受け取りながら「ああ、したさ」と不機嫌に答えた。
「他にどんな選択肢が有ったって言うんだ。別にあの客に何の興味も無いし、ただの客相手にこれ以上どうにもなる気は無いけどな。全く……」
「……」
ヒュウガが何か言いたそうにこちらを見ている。だが結局何も言わずに、ソファに戻ろうとした。それがまた癪に障る。
「何だ、何か言いたい事が有るなら言え」
「……言ったら先輩、本当に怒りますもん」
「バカ言え。俺は何にも執着してない。だから怒ったりなんかしない」
ヒュウガは一度疑わしそうな目で葵を見て、それから少し近寄って、言う。
「興味が無くて、これ以上になる気が無いなら、最初からキッパリ断ってると思うんです」
「状況が状況だったんだ、仕方ないだろ」
「そこですよ。状況、とか、相手の気持ちを考えてるから、気にしちゃうんでしょ?」
「考えてない」
「考えてなかったら、先輩はもっともっとつまんない人です!」
「お前、さりげなく俺をつまんないって言ってるな?」
「そんなことはどうでもいいです」
「どうでもよく、」
「いいですか、つまりですね」
ヒュウガが葵の言う事を聞かない。珍しい事に困惑している間に、ヒュウガは言う。
「先輩も、その人の事が、少なからず好きだって事です」
「……お前、バカなのか?」
「バカなのは先輩です。そんな簡単な事も判ってないみたいなフリして。見ていて歯がゆいって言うか、通り越してイラッときちゃいます。大好きな先輩が、どーしょーもない事になってるの、見てると」
「お前、」
「僕、恋人が出来ました」
唐突に宣言されて、一瞬葵は何を言われたのか判らなかった。少し遅れて「ハァ!?」と声を上げると、ヒュウガは悲しげに言う。
「でも、今の先輩は放っておけないです、今の状態じゃ……先輩、今すごく揺れてるみたいだし、側に居てあげたいって……」
「待て、待て、なんでサラッと変な告白した!? 恋人って……誰だ」
「樹さんです」
その名前を聞いて、葵はまた一瞬言葉が出なかった。男だと言っていた。どちらも男。こっちがホモに絡まれていると思ったら、ヒュウガまで絡まれていた。
「お前……お前、それは今すぐ離れろ」
「何でですか?」
「お前……なんでも何も無い、とにかく、分かれるんだ。大体……出来過ぎだろ!? この間知り合ったばかりなのに、そんな、お前……利用されてるだけとか、考えないのか!?」
「僕だって色々考えていますし、それは大丈夫です」
「何が大丈夫だよ……! お前、変なところで楽天的すぎるぞ!」
「先輩は変なところで譲らなすぎです! 大体、僕の事なんてどうでもいいハズなんでしょ? 何でそんな事言うんですか」
「……っ、そ、それは……」
言葉に詰まった。何かを言いそうになって、何かを考えそうになって、それを必死に食いとめる。なのに、ヒュウガの方がそれを許さなかった。
「簡単な事じゃないですか、先輩、本当はその人の事も、僕の事も心配でたまらないから、でしょ? 僕の自意識過剰なんかじゃない、先輩は、僕の事も、その人の事も好きなんだ。なのに、それを認めようとしてないだけじゃないですか!」
ああ、いつからコイツはこんなに生意気になったんだろう。昔は、先輩先輩って、後ろを着いてきて、隠れてるような奴だったのに。
だから、だから、側に居ても良いと思っていたのに。
――何故、そう思ったんだろう。
「……出てけ」
「……先輩」
「……出てけ……もう二度とここに来るな。恋人さんとやらとよろしくしてろよ」
なんとかそれだけ吐き出す。ヒュウガは悲しげな顔で葵を見ていたが、やがて荷物を手に取ると、静かに部屋を出て行った。
時計の針の音だけが響く、静かな静かな部屋で、葵は一人で座っていた。
1月6日
その日は朝から雨が降っていた。
長期休暇の最終日、葵は貴俊に呼ばれて、飲みに出た。
貴俊の行き付けの居酒屋らしい。狭くて少し汚いそこは、しかし料理も酒も旨く、店主は少々うるさかったが、まあ楽しい時間を過ごせた。このところのストレスを発散したいと思っていたのも有り、また今日も頭痛が止まらないので、それを忘れようとしたらしい。葵はいつもよりよく飲んだ。
酒に弱い方ではない。むしろ、そこそこいける口だ。自分を失うほどに飲んだ事は無い。だから、今日ぐらいは、と好きなだけ食べて飲んだ。明日から仕事だ、という事は理解していたが、そもそも支障が出るほど飲んだ事が無かった葵は、ペースを落とさなかった。
そのせい、だろう。
(……?)
ふと気付くと、葵は知らない天井を見上げていた。
薄いピンクの天井。ライトがあまり眩しくない。のろのろと周りを見渡す。最初に思ったのは、ビジネスホテル、という事だった。葵はベッドの上に居るようで、その部屋はそれほど広くない。家具らしい家具も無い、質素な部屋だったから、最初はホテルだと思った。だが、壁がピンクで、シーツもピンクで、ついでに妙な位置に鏡が有って、おまけに部屋の隅にそれらしい袋を見つけて、飛び起きた。
ここは、ラブホテルだ。
飛び起きて、そしてクラクラとベッドに戻った。何故だか頭が痛いし、周りが歪んで見える。
(なんだ、何がどうなって……俺の上着は何処だ)
ふと気付く。コートを着ていない。その着ているシャツも、僅かにボタンを外されている。
そしてシャワールームから水音が聞こえる。つまり、つまりは、今の状況を考えると。
(……やばい)
犯される、と思った。思ったが、どうにもこうにも頭が重い。うう、と呻きながらようやっと起き上がり、ベッドから出たが、そのままクタクタと床に崩れ落ちた。しっかりしろ、俺の体。でないとこのまま大切な物を失うんだぞ。そう叱咤して、なんとか立ち上がると。
「あれ、葵さん。もう大丈夫?」
目の前にシャワー上がりの貴俊が立っていた。
「――っ!」
驚きのあまり、腰が抜けた。また床に座り込んでしまう。貴俊は濡れた髪をまとめ、バスローブを着ただけの状態だった。見るからに危険だ。
「ああ、まだダメそうだね……ほら、葵さん、ベッドで大人しくしてなきゃ……」
「な、何を、する気ですかっ」
伸ばしてきた手を振り払って言う。貴俊は一瞬きょとんとした顔をして、「何をって……」と考え始めた。その隙になんとか立ち上がる。逃げないと、貞操の危機だ。
「……いや、葵さんね、酔いつぶれちゃったから、ここに連れて来たんだけど……」
「連れ込んだ、の間違い、でしょう」
「え? いやまあ、別にどっちでもいいけど……」
「あ、貴方は、な、何でも良いんですかっ、ゆ、友人から、始めようって、言ったのに、いきなり、こんな」
そう言われて貴俊は、ようやく何かに気づいたらしい。慌てるように言う。
「あ、葵さん、何か誤解しているようだけど、俺は決して……」
「な、何が、この状況の何が誤解ですかっ!? お、俺を、俺を犯そうとしてるんだろっ!?」
思わず素が出たのは、状況が状況だからか、酒が入っているからなのか。とにかく頭がグラグラして、考えがまとまらない。
「ち、違う、違うよ! 誤解だよ、葵さんの様子がおかしいから、休めるところをって思って」
「そんな理由で、こんな所に、わざわざ、連れ込むわけ、ないっ」
「葵さん、違うんだよ……!」
説明しようとしたのか、手を伸ばしてきたから、葵はそれを払いのけて、のろのろと部屋の入り口へと向かう。
「葵さん!」
「う、うるさい! 俺に触るな、変態野郎っ! ちょ、ちょっとでも、気を許した俺が、バカだった、この際、この際言っとくけど、俺、あんたの事好きでも何でもない! ただの客と店員だ、勘違いしてんじゃねえよ、どいつもこいつも! 俺が誰かを好きになるなんて! あり得ないんだよ、なんで判らないんだ!」
「葵さ……」
「俺は、誰の事も好きじゃないし! ずっと一人だし! ……俺の何も知らない癖に、好きとか、バカじゃねえの……! もう俺の事は放っておいてくれよ、俺は、あんたらが思うような人間じゃないんだ……っ」
「葵さん」
なんとかドアまでたどり着いたが、あっけなく追いつかれてしまった。グッと肩を掴まれて、振り向かされる。このまま犯されるものだと思っていた葵は、真剣な顔をした貴俊に顔を覗きこまれて、困惑した。
「葵さん、確かに俺は貴方の事を何も知らないよ、まだ。でも知りたい、知った上でもっと好きになりたい、そう思うんだ。葵さんが何をそんなにまで隠していて、何でそんなに苦しんでるのか、俺は判らない。判らないけど、そんな辛そうな顔をする葵さんを、どうにか笑わせてあげたいって、そう思うんだ」
「ば、バカか、アンタは……」
「バカでいい、そんなバカに、そんなに苦しそうな葵さんが救えるなら、それでいい、なんとかしたいんだ、葵さん。本当の事を聞かせてくれよ、本当は何を隠してるんだ、葵さん」
そんなの、俺だって知るか。
葵は夢中で逃げだした。何から逃げたのか、もう判らない。貴俊からなのか、それとも色々な言葉や、考えからなのか。酔っていたのに、足もとも覚束なかったのに、奇跡的に葵は気付くと自宅の玄関でしゃがみこんでいた。ずぶ濡れになっていて、寒いと思って目を覚ましたのだ。寒い、寒いと呟きながら、自宅に戻り、シャワーを浴びながら。
ああ、とんだ新年初出勤になる。どうしてこう、嫌な事ばっかりなんだ。
そんな事を考えていたのを最後に、また葵の意識は途切れた。
「俺、葵さんの事が、好きです」
あれからも一日おきのペースで会って。何をするでもなく、喫茶店で長い間話したりする程度の事を続けていた。その日も、喫茶店の個室に入り、延々と貴俊の話を聞いていたら、突然その告白が始まったのだった。
「……? はあ、ありがとうございます」
「葵さんほど優しくて、素敵な人を俺は他に知りません。それにとっても美人だ。だから、俺なんかと釣り合うわけが無い、と思う、だけど……でも、でも思い切って言おうと思います!」
「……え……」
「好きです、葵さん! 俺と……俺とお付き合いして下さい!」
そう言って、貴俊は深々と頭を下げた。
最初に思ったのは、コイツはバカじゃないのか、という事だ。
ついこの間、女にフラれたと言って、まさにこの部屋で泣き喚いていたというのに。なんという切り替えの早さ。いや、恐らく逐一相談に乗っていたから、勘違いされたのだろう。よしておけばよかった、と思っても、もう遅い。
「……私、男ですよ?」
とりあえず判りきっている忠告をしてみると、貴俊はそのままの姿勢で「はい!」と答えた。
「判ってます、俺がおかしな事を言ってるのぐらい……でも、でも俺は今、どうしようもなく葵さんが好きだ! でも嫌なら断って欲しい……嫌な物は、嫌だろうし……」
ああ、嫌、嫌だね。そう思ったが、貴俊を傷付けずに断る言葉が見つからない。そもそも、そんな配慮をしている事がおかしい。貴俊がどう思ってどうなろうが、知った事ではないはずだ。ここはキッパリ、断るべきだ。
そう考えながら、貴俊の頭を見る。未だに下げられたそれからは、死刑宣告でも受けるかのような緊張と、絶望感が滲み出ている。
(……断るべきだ。間違いなく。お互いの為に)
判っているのに、判っていたのに。
「……貴俊さん、我々はまだ、お互いの事をあまり知りません。……まずは、友人、から、始めませんか」
口をついて出たのは、そんな意味のわからない提案だった。
1月6日
「俺は何をやっているんだ……本当に」
全く、悩みごとが尽きないせいか、頭が痛い。今年は正月から散々だ。意味のわからない事ばかりで、体が重くて仕方ない。頭痛薬を飲んで、椅子に腰かけて居ると、後ろからヒュウガが声をかけてくる。
「でも、先輩、OKしちゃったんでしょ?」
久しぶりに現れたと思ったら、生意気な口を利く。淹れてくれたコーヒーを受け取りながら「ああ、したさ」と不機嫌に答えた。
「他にどんな選択肢が有ったって言うんだ。別にあの客に何の興味も無いし、ただの客相手にこれ以上どうにもなる気は無いけどな。全く……」
「……」
ヒュウガが何か言いたそうにこちらを見ている。だが結局何も言わずに、ソファに戻ろうとした。それがまた癪に障る。
「何だ、何か言いたい事が有るなら言え」
「……言ったら先輩、本当に怒りますもん」
「バカ言え。俺は何にも執着してない。だから怒ったりなんかしない」
ヒュウガは一度疑わしそうな目で葵を見て、それから少し近寄って、言う。
「興味が無くて、これ以上になる気が無いなら、最初からキッパリ断ってると思うんです」
「状況が状況だったんだ、仕方ないだろ」
「そこですよ。状況、とか、相手の気持ちを考えてるから、気にしちゃうんでしょ?」
「考えてない」
「考えてなかったら、先輩はもっともっとつまんない人です!」
「お前、さりげなく俺をつまんないって言ってるな?」
「そんなことはどうでもいいです」
「どうでもよく、」
「いいですか、つまりですね」
ヒュウガが葵の言う事を聞かない。珍しい事に困惑している間に、ヒュウガは言う。
「先輩も、その人の事が、少なからず好きだって事です」
「……お前、バカなのか?」
「バカなのは先輩です。そんな簡単な事も判ってないみたいなフリして。見ていて歯がゆいって言うか、通り越してイラッときちゃいます。大好きな先輩が、どーしょーもない事になってるの、見てると」
「お前、」
「僕、恋人が出来ました」
唐突に宣言されて、一瞬葵は何を言われたのか判らなかった。少し遅れて「ハァ!?」と声を上げると、ヒュウガは悲しげに言う。
「でも、今の先輩は放っておけないです、今の状態じゃ……先輩、今すごく揺れてるみたいだし、側に居てあげたいって……」
「待て、待て、なんでサラッと変な告白した!? 恋人って……誰だ」
「樹さんです」
その名前を聞いて、葵はまた一瞬言葉が出なかった。男だと言っていた。どちらも男。こっちがホモに絡まれていると思ったら、ヒュウガまで絡まれていた。
「お前……お前、それは今すぐ離れろ」
「何でですか?」
「お前……なんでも何も無い、とにかく、分かれるんだ。大体……出来過ぎだろ!? この間知り合ったばかりなのに、そんな、お前……利用されてるだけとか、考えないのか!?」
「僕だって色々考えていますし、それは大丈夫です」
「何が大丈夫だよ……! お前、変なところで楽天的すぎるぞ!」
「先輩は変なところで譲らなすぎです! 大体、僕の事なんてどうでもいいハズなんでしょ? 何でそんな事言うんですか」
「……っ、そ、それは……」
言葉に詰まった。何かを言いそうになって、何かを考えそうになって、それを必死に食いとめる。なのに、ヒュウガの方がそれを許さなかった。
「簡単な事じゃないですか、先輩、本当はその人の事も、僕の事も心配でたまらないから、でしょ? 僕の自意識過剰なんかじゃない、先輩は、僕の事も、その人の事も好きなんだ。なのに、それを認めようとしてないだけじゃないですか!」
ああ、いつからコイツはこんなに生意気になったんだろう。昔は、先輩先輩って、後ろを着いてきて、隠れてるような奴だったのに。
だから、だから、側に居ても良いと思っていたのに。
――何故、そう思ったんだろう。
「……出てけ」
「……先輩」
「……出てけ……もう二度とここに来るな。恋人さんとやらとよろしくしてろよ」
なんとかそれだけ吐き出す。ヒュウガは悲しげな顔で葵を見ていたが、やがて荷物を手に取ると、静かに部屋を出て行った。
時計の針の音だけが響く、静かな静かな部屋で、葵は一人で座っていた。
1月6日
その日は朝から雨が降っていた。
長期休暇の最終日、葵は貴俊に呼ばれて、飲みに出た。
貴俊の行き付けの居酒屋らしい。狭くて少し汚いそこは、しかし料理も酒も旨く、店主は少々うるさかったが、まあ楽しい時間を過ごせた。このところのストレスを発散したいと思っていたのも有り、また今日も頭痛が止まらないので、それを忘れようとしたらしい。葵はいつもよりよく飲んだ。
酒に弱い方ではない。むしろ、そこそこいける口だ。自分を失うほどに飲んだ事は無い。だから、今日ぐらいは、と好きなだけ食べて飲んだ。明日から仕事だ、という事は理解していたが、そもそも支障が出るほど飲んだ事が無かった葵は、ペースを落とさなかった。
そのせい、だろう。
(……?)
ふと気付くと、葵は知らない天井を見上げていた。
薄いピンクの天井。ライトがあまり眩しくない。のろのろと周りを見渡す。最初に思ったのは、ビジネスホテル、という事だった。葵はベッドの上に居るようで、その部屋はそれほど広くない。家具らしい家具も無い、質素な部屋だったから、最初はホテルだと思った。だが、壁がピンクで、シーツもピンクで、ついでに妙な位置に鏡が有って、おまけに部屋の隅にそれらしい袋を見つけて、飛び起きた。
ここは、ラブホテルだ。
飛び起きて、そしてクラクラとベッドに戻った。何故だか頭が痛いし、周りが歪んで見える。
(なんだ、何がどうなって……俺の上着は何処だ)
ふと気付く。コートを着ていない。その着ているシャツも、僅かにボタンを外されている。
そしてシャワールームから水音が聞こえる。つまり、つまりは、今の状況を考えると。
(……やばい)
犯される、と思った。思ったが、どうにもこうにも頭が重い。うう、と呻きながらようやっと起き上がり、ベッドから出たが、そのままクタクタと床に崩れ落ちた。しっかりしろ、俺の体。でないとこのまま大切な物を失うんだぞ。そう叱咤して、なんとか立ち上がると。
「あれ、葵さん。もう大丈夫?」
目の前にシャワー上がりの貴俊が立っていた。
「――っ!」
驚きのあまり、腰が抜けた。また床に座り込んでしまう。貴俊は濡れた髪をまとめ、バスローブを着ただけの状態だった。見るからに危険だ。
「ああ、まだダメそうだね……ほら、葵さん、ベッドで大人しくしてなきゃ……」
「な、何を、する気ですかっ」
伸ばしてきた手を振り払って言う。貴俊は一瞬きょとんとした顔をして、「何をって……」と考え始めた。その隙になんとか立ち上がる。逃げないと、貞操の危機だ。
「……いや、葵さんね、酔いつぶれちゃったから、ここに連れて来たんだけど……」
「連れ込んだ、の間違い、でしょう」
「え? いやまあ、別にどっちでもいいけど……」
「あ、貴方は、な、何でも良いんですかっ、ゆ、友人から、始めようって、言ったのに、いきなり、こんな」
そう言われて貴俊は、ようやく何かに気づいたらしい。慌てるように言う。
「あ、葵さん、何か誤解しているようだけど、俺は決して……」
「な、何が、この状況の何が誤解ですかっ!? お、俺を、俺を犯そうとしてるんだろっ!?」
思わず素が出たのは、状況が状況だからか、酒が入っているからなのか。とにかく頭がグラグラして、考えがまとまらない。
「ち、違う、違うよ! 誤解だよ、葵さんの様子がおかしいから、休めるところをって思って」
「そんな理由で、こんな所に、わざわざ、連れ込むわけ、ないっ」
「葵さん、違うんだよ……!」
説明しようとしたのか、手を伸ばしてきたから、葵はそれを払いのけて、のろのろと部屋の入り口へと向かう。
「葵さん!」
「う、うるさい! 俺に触るな、変態野郎っ! ちょ、ちょっとでも、気を許した俺が、バカだった、この際、この際言っとくけど、俺、あんたの事好きでも何でもない! ただの客と店員だ、勘違いしてんじゃねえよ、どいつもこいつも! 俺が誰かを好きになるなんて! あり得ないんだよ、なんで判らないんだ!」
「葵さ……」
「俺は、誰の事も好きじゃないし! ずっと一人だし! ……俺の何も知らない癖に、好きとか、バカじゃねえの……! もう俺の事は放っておいてくれよ、俺は、あんたらが思うような人間じゃないんだ……っ」
「葵さん」
なんとかドアまでたどり着いたが、あっけなく追いつかれてしまった。グッと肩を掴まれて、振り向かされる。このまま犯されるものだと思っていた葵は、真剣な顔をした貴俊に顔を覗きこまれて、困惑した。
「葵さん、確かに俺は貴方の事を何も知らないよ、まだ。でも知りたい、知った上でもっと好きになりたい、そう思うんだ。葵さんが何をそんなにまで隠していて、何でそんなに苦しんでるのか、俺は判らない。判らないけど、そんな辛そうな顔をする葵さんを、どうにか笑わせてあげたいって、そう思うんだ」
「ば、バカか、アンタは……」
「バカでいい、そんなバカに、そんなに苦しそうな葵さんが救えるなら、それでいい、なんとかしたいんだ、葵さん。本当の事を聞かせてくれよ、本当は何を隠してるんだ、葵さん」
そんなの、俺だって知るか。
葵は夢中で逃げだした。何から逃げたのか、もう判らない。貴俊からなのか、それとも色々な言葉や、考えからなのか。酔っていたのに、足もとも覚束なかったのに、奇跡的に葵は気付くと自宅の玄関でしゃがみこんでいた。ずぶ濡れになっていて、寒いと思って目を覚ましたのだ。寒い、寒いと呟きながら、自宅に戻り、シャワーを浴びながら。
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そんな事を考えていたのを最後に、また葵の意識は途切れた。
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