その7
村長選びの最終日、六月三〇日。今日も雨が降っていた。土砂降りだ。こんな日でも、長谷川のお爺ちゃんはやって来た。今回の御子様は、村長を決めなかったのう。お爺ちゃんはそう言っていた。皆、次の御子に心が移っている。とてもいい事だ。このまま俺の事は放っておいてほしい。
土砂降りだから、予約の患者以外には誰も来ないまま、昼が過ぎた。ザアザアという雨音で、他の音があまり聞こえない。だから少し、ソワソワしてしまう。指輪を入れたお守り袋を手に握りこんで、時計を見たりしてすごしていた。
子供の頃からツメが甘いと言われる事が多かった。最後の問題だけうっかり間違えているだとか、ゴール直前に遅くなるだとか、最後の最後で気が緩んで、何かしら失敗をするのだ。だから、最後が一番危ない。今日が一番危険だ。そんな気がしていた。
『橘様』
だから、いきなり背後から声をかけられて、俺は飛び上がった。キツネ君だ。昼間っからキツネ君が来るのも珍しい。第一、いつの間に入って来てたんだ。驚いていると、『ノックをしても返事が有りませんでしたので』という。雨音でかき消されたのか。
「や、やあ、キツネ君、珍しいね、君がこんな時間に来るなんて」
『橘様、折り入ってお願いが有るのですが』
「う、うん? 何?」
『会って欲しい方が居るのです』
その時の俺ときたら、冷静じゃなかった。今日は危険な日だと思っていたし、由良君や永尾さんが言っていた事を思い出してしまったし。キツネ君は俺を、誰かに売ろうとしている。一か月かけて信頼させておいて、騙す。その可能性を否定しきれないのは、彼の本心が見えないからだ。どうしてこんなに親切にしてくれるのか判らない。疑ってしまうのは仕方ないじゃないか。
「それって、誰……?」
『申し訳有りませんが、それは教えられません。ですが、どうか会って頂きたいのです。そこならば身の安全も確保出来ますし……』
「つまり、今日、今からってこと?」
『はい、今日でなくては、意味が無いではありませんか』
貴方様の身を守る為には、と続いたが、どうにも一度疑ってしまうと怪しく聞こえてしまうものだ。それに、最終日、この村で一番力の無い魔法使いであるキツネ君に、守ってもらうってのも妙な話だ。彼はしょせん、俺を守れるわけじゃない。なら何処に連れて行こうっていうのか。
「……それは、何、そのまま、その人に抱かれてほしい、って事になるの?」
『え……?』
キツネ君は少々困惑したようだった。その微妙な間が、また俺を疑わせる。そうじゃなければ、違うと即答するもんだろうが、キツネ君はそれに対して返事をしなかったのだ。だから、もうどうにもダメだった。尤も、一度疑ってしまえば、何を言われたって信用は出来ないんだろうが。
「悪いんだけど、それは明日にしてもらうよ、俺はその、ちょっと、出かけてくるよ、今日さえ終われば自由の身だし、何処かに身を隠す事にする、臨時休業の看板を出しておくから、後はよろしくね、キツネ君」
『え、あ、た、橘様、何処へ』
そうして俺はキツネ君の制止を振り切って、傘を引っ掴むと外に飛び出したのだった。
自宅の貴重品は昨日のうちに隠しておいたし、あれだけ厳重に隠しておけばバレ無いだろうという自信が有った。今日さえ身一つで逃げていれば、俺の勝ちだ。尤も、急患が来た時の為に携帯は持っている。患者の命には替えられないので、その時は諦めて診療所に戻ろう。
キツネ君には悪いが、よほどの事が無い限りは一人で隠れて居ようと思った。そうする為にも、俺はとりあえず永尾さんを信じて、例の神社へと向かう。
雨脚は強く、道中誰にも出会わなかった。傘に雨がぶつかって、バラバラと大きな音がする。これじゃあ誰かが追って来ていても足音は聞こえないな、と振り返ってみたが、誰も居なかった。
神社に辿りつき、境内に入って中を見ると、神楽をしていた辺りに、真新しい小屋が有る。なるほど、あれかと近寄って、そして小屋の前のぬかるみに、足跡が有る事に気づいた。
連日雨が降り続いているから、今日の物ではないかもしれない。それでも少々不安になって、そっと扉に耳を押し付けて、様子を窺う。特に物音はしない……と思った矢先、中から足音が聞こえて来た。誰か居る! ここではダメだ、と思ったが、他にあてもない。とりあえず、と小屋の横の物陰に隠れて、次にどうするかを考える事にした。
と、境内に誰かがやってきた。見ると、傘をさして歩いて来ているのは、あの佐久間村長だ。片手をポケットに突っ込んだまま、なんとも雨の日までイケメンな歩き方。ここまで来ると少々腹が立って来るぐらいのイケメンっぷりだ。だからってやはり、彼に抱かれたいとは思わない。
村長は小屋に向かって来て、扉をノックする。この位置からでは何が起こっているか見えないから、耳を澄ませて様子を窺うしかない。中から誰かが出て来たようだ。
「まだ来ていないのかい、先生は」
『えぇ、まだ』
聞き覚えが有る。これは、タヌキの声だ。どうやら待ち伏せされていたらしい。永尾さんめ、あんな事を言いながら、俺を村長だかタヌキだかに売ったんだ。すぐに逃げ出さないとまずいと思ったが、あいにく小屋の前を通らないと、境内から出られそうにもない。走って逃げても、相手は俺が御子だと判っている魔法使いで、どんな技を出してくるやら。脚もそれほど速くないし、体力が有るわけでもない。逃げ切れる気がしなかった。
『先ほどイヌから連絡が有りました。先生は診療所を出たようです。あいにく見失ったようですが、もしかしたらこちらに向かっているかもしれません。間も無くイヌも合流するとの事ですから、手分けして探します故、佐久間様はもう少々お待ち下さい』
げっ。イヌさんが増えるらしい。これはますます逃げられなくなってきた。周りを見たが、身を隠せそうな所も無い。この周辺を探そう、なんて事になったら、すぐに見つかってしまう。どうしよう、どうしたらいいんだろう。
考えても考えても、特に名案は浮かばない。いよいよ混乱していると、『橘様』と側で声がして、悲鳴を上げそうになるのをなんとか堪えた。慌てて振り返ると、すぐ側にキツネ君が居る。彼は傘を差していなくて、すっかりずぶ濡れになっている様子だった。
「き、キツネ君、どうしてここに……」
『後を追ってまいりました』
「そ、そう、それで、……彼らに見つかったりしなかったの?」
『私は姿を消す事だけは得意ですから。それより……今橘様はとても危険な状況です。何故こんな時に出かけたりなど。残りの時間を安全な場所で過ごして頂こうと思っていましたのに……』
「う……そ、それは……」
俺は迷ったが、でも自分の今の気持ちを正直に伝える事にした。
「ごめん、キツネ君。君の事を信じていないわけじゃないんだ。でもやっぱり……正直……不安は感じてるんだ、君が……何をしたいのか、判らないから」
『……それは、信じているとは言いません』
「……そう、だよね。……ごめん。君は俺の事を何かと褒めてくれるけど、……俺はさ、本当にただの小さな人間なんだよ、人の為にだけ尽くすような人じゃない、俺だって俺の利益の為に生きてるからさ。だから、自分の身を守る為には、……本当に信じられる確証が無いと、不安なんだ」
『……判りました。なら、誓いましょう』
キツネ君はそう言うと、何か指で印を切った。するとその印の形に、青い光の線が浮かび上がる。それを俺は手品か何かを見るように、ぼうっと見ていた。そういえばこの子は、魔法使いだった。
『これは龍神様に誓いを立てる印です。私は、橘様をお守りする。決して裏切らず、御子である間に誰にも抱かせたりなど致しません。違えれば、私は龍神様に殺されます』
「こ、殺されるって、キツネ君」
急に物騒な話になった。そんなそこまでしなくても、とは思ったが、『こう致しませんと、橘様に信じて頂けないと思いましたので』とキツネ君は言った。また何か印を切ると、青い光はスウッと消えた。それで誓いは終わりらしい。
『まあ、この儀式も信じて頂けるかどうか。ともかく、私は橘様をお守り致します。もし私を信じて頂けるなら、私が奴らを引きつけている間に、ウシの祠にお行き下さい。ウシは私の味方であり、橘様の味方です。きっと守ってくれます』
「引きつけるって、どうするんだい」
『私が先生になりかわり、奴らに捕まります。その間に、行って下さい』
「えっ、ちょっと、それって、」
君の身が危ないんじゃ。そう言う暇も無く、キツネ君はまた今度は違う印を切った。すると着ていた衣が水に溶けるように消えて、お面も同じようになくなり、そして目の前には”俺”が立っている。
「う、うわ、本当に、そっくり……なんかちょっと……気持ち悪い……」
『ふふ、声までそっくりだと思いますよ、そういう術ですから』
「うわあ……」
『ともかく、私が前後不覚にでも陥らなければ、これで時間が稼げます。それでは』
「あっ、ちょ、キツネ君……っ」
止めようとしたが、キツネ君は行ってしまった。とはいえ、止めたって他に逃げる方法が有るわけでもない。恐る恐る物陰から見ていると、キツネ君に気付いたタヌキが、彼を追いかけた。少し走った後で、タヌキが何か妙な技を(たぶん奴の魔法なんだろう)使うと、キツネ君は突然動きを止めて、そのまま崩れそうになるのを、佐久間さんがこれまたイケメンに抱きとめる。
そして俺もどきのキツネ君が、二人に抱えられて、小屋に連れ込まれてしまった。これは大変だ。焦るばかりでどうしていいか判らない。助けてあげたいが、魔法使い相手にどうすればいいんだ。小屋に耳を押し当ててみると、佐久間さんが「折角抱かせて頂くのですから、精一杯、気持ち良くして差しあげます」とか言っている。こ、これはまだ時間がかかりそうだ。助けを求めるなら今しかない。ウシに助けを求めてみよう。キツネ君を助け出す力が有るかもしれない。
そして俺は、小屋から離れて、雨の中を走って行った。
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二人とも変態。永遠の中二病。
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