その5
神楽が終わると、花火が上がる。花火は小さな村らしい可愛いものだったが、まあ綺麗だった。それで皆で歓声を上げて、解散だ。色々世話になった永尾さんに頭を下げて、一人プラプラと自宅への道を歩いて行く。
さて、キツネ君の事を理解出来ないのは確かだが、そんな計略を巡らせたりしているんだろうか。色んな可能性が出てきて、困ったものだ。キツネ君の事を考えながら、すっかり暗くなった夜道を、懐中電灯で照らしながら歩いていると、ふと気配を感じる。振り返っても誰も居ない。気のせいか、と思って、ふいに左側の林に光を当てると、そこに人影が有る。一瞬ギョッとしたが、あの赤い衣は、キツネ君ではないか。
「キツネ君?」
声をかけてみると、彼は振り返って、驚きでもしたのかしばらく無反応で、それから頭を下げた。
「そんな所で何をしてるんだい?」
話しかけながら近寄ってみる。と、キツネ君の足元には古びた小さな祠が有った。中を覗き込んでみると、札が貼ってあって、赤い字で「狐」と書かれていた。
「ああ、これキツネ君の祠なんだ」
見ると、神楽では悪いように言われていたのに、お供え物は一応されているようだった。それでもウシの祠に比べると、少し古びて汚れているようにも見える。キツネ君は俺の話には特に反応せずに、『祭に行っていたのですか?』と尋ねて来た。
『人の多い場所は危険です』
「一年に一度のお祭に顔を出さないのも不自然だろう? そう言うキツネ君は、行かなかったの?」
『私は……行っても意味が有りませんから』
「意味が無い? どうして」
『……私はあの祭では、憎まれ役ですし……』
ああ、確かに最終的に退治されてしまうような神楽をわざわざ見に行ったりもしないか、と思うが。どうも言葉を濁されているような気がする。キツネ君はいつもそうだ。側に居るし、守るとは言ってくれるが、あまり物事を話してはくれない。
「キツネ君はどうして俺が御子だって事を、公表しないんだい? いつもはしているんだろう?」
『……それはお答え出来ません』
「うーん。じゃあ、君がそうしたいからしているの? 君の利益のために」
『……それは、そうですね。あくまで私の個人的な理由で、公表していません』
「……そうかぁ」
『……いくつかの質問を頂いておりますが、その……今は、お答え出来ません。申し訳ございません……』
本当に申し訳無さそうにキツネ君が言うものだから、俺も追及しにくい。「今は、って事は、いつかは話せるの?」と問えば、『この村長選びが、無事に終わりましたら』と返事。なるほど、終わるまでは教えてもらえないという事は、最後まで信じるわけにもいかないという事だ。
とはいえ、俺個人の直感的な感想として、キツネ君がそう悪い奴とも思えない。小細工をするには、少し抜けているところが有る気がするのだ。こうしてわざわざ姿を出さなければ、俺にこういう具合の悪い質問をされる事も無いし、別に俺の側に居なくたっていい。のに、そういう事をしている。そんな所が、少しだが、少なくともあのタヌキよりは、側に居ても悪い気にはならない。むしろ、俺は少しこのキツネ君の事が気になっている。出来れば、俺を売らないでほしいなあ、と思う程度には。
話題も途切れたし、祠を見て、なんとなく「お供え物が少ないなあ」と呟く。『私は人気が有りませんから』とキツネ君が寂しそうに言ったので、「じゃあ俺がお供え物をしてあげよう」となんとなくリンゴ飴を取り出した。まだ手付かずだし、ビニールもついているから大丈夫だろう。
『え』
キツネ君は意外だったのか、きょとんとした感じで俺を見る。俺は取り出したリンゴ飴を見ながら、「うーんでも、油揚げとかのほうがいいのかな? ……それに目の前に本人が居るんだから、供えるのもおかしいか。これ、あげるよ、キツネ君」と、それを差し出した。
『えっ、えっ……』
キツネ君は困惑していたが、「いらない?」と聞くと、『い、いえ』と素直に受け取った。子供のように、妙に大事そうに両手で持っているものだから、少し可愛いと思った。考えると俺よりも背は小さくて、華奢だし、それにとても慎ましやかで、おまけに(それが嘘でなければ)俺の事を考えてくれている。情が湧かないはずもない。
『……よ、よろしいのですか』
「うん、いつもお世話になってるしね」
『そんな、私はお世話なんて』
「君は俺を守ってくれているんだろう? 誰にも話さないまま」
『……私は、……私がただ、そうしたいから、そうしているだけで。貴方様に……その、……物を頂くような事は、……』
どうも煮え切らない。でもその奥ゆかしいところが妙に可愛い気もする。キツネ君の本心は未だに少しも判らない。でも、俺が襲われていないという事は、恐らく彼が誰にも俺が御子だと明かしていないからなんだろう。
「でも、本当に大丈夫なの? 君の仕事なんだろう、御子を教えるのって」
『私の本来の役目は、御子様にその事実をお伝えし、魔法使い避けの指輪を渡す事だけですから』
「村長が選ばれるかどうかは、関係無い?」
『本来、御子様ご自身が、この人物をこそ、と選ぶものでしたし。私は関与致しませんし、それで適合者無しという事であれば、適任が現れるまで続ける、ただそれだけの事でございます』
「じゃあ、俺が誰かと望んで寝るのは、キツネ君も構わないのかい?」
そう尋ねると、キツネ君は『それは』と言って、それ以降を言わなかった。それは、なんだろう、としばらく待っていたが、彼が答えるより先に、パタパタと雨が降り始めた。真っ暗な空を見上げていると、『これを』とキツネ君が、どこからともなくビニール傘を差し出してきた。
『龍神祭の後には、必ず龍神様が雨を降らせるのです。風邪を引いてはいけませんし、どうぞお使い下さい』
そこは風流に、赤い番傘とかじゃないんだ……と思いつつ、ありがたく受け取って、傘を開いて。それで、キツネ君が動かない事に気付いた。
「キツネ君はどうするの」
『私は良いのです。このまま濡れて帰ります』
「そんなのはいけないよ。君が風邪を引いてしまうだろう」
『いえ、でも、』
「それにもし風邪を引いてごらん、君の正体が俺にバレてしまうよ? この時期はあんまり引く人は居ないからね」
『う……そ、それは、困ります……』
「ね、だから……そうだね、俺の家まで一緒に入るのはどうだい。そこからはキツネ君が差して帰ればいい」
キツネ君は明らかに戸惑っている様子だったけど、悩みに悩んで、『では、その』ともごもご喋る。
『今、私の姿は橘様以外から見えませんので、不自然にならないよう、密着しませんと……そ、それでも、いいのなら……』
「ああ、そうだね。俺は構わないよ、キツネ君が嫌じゃなければ」
『私は、その、嫌ではありませんが』
「じゃあ、ほら。濡れちゃうよ」
傘を差して促すと、キツネ君はおずおず傘の中に入って来た。
一緒に診療所までの道を帰って行く。雨は本降りになってきて、この中を傘無しで帰らせたら本当に可哀相な事になったろうな、と思う。すっかり辺りは真っ暗で、懐中電灯の光が足元でゆらゆら揺れる。傘に当たる雨の音がポツポツと響いた。
「……キツネ君」
『はい』
極力引っ付いているキツネ君は、小さな声で返事をした。時折肩がぶつかると、キツネ君は困ったように俺との距離を確認したりしている。嫌なんだろうか。
「魔法使いは、たぶんあの神楽に出て来た動物の数だけ居ると思ったんだけど、あってる?」
『はい。全部で一二人の魔法使いがおります。全て、龍神様の眷属として、働いております』
「皆、御子を探して活動してるのかな」
『それは……違います。……説明すると少々長くなりますが、魔法使いについてご説明しましょうか』
少し考えて、お願いした。まだ診療所まで時間が有る。放っておくと延々と黙っていそうなキツネ君が自分から話してくれるなら、ありがたい。
『一二人の魔法使いはそれぞれ、テング、ウサギ、ヘビ、ウシ、スズメ、クマ、シカ、タヌキ、キジ、ネコ、そして私ことキツネ。その中でも序列と派閥がございます。序列と致しましては、テング様、シカ様、タヌキ様辺りが上位に、そして私やキジ様などが下位におります。
またこの中で、テング様、ウサギ様、ヘビ様はもう何年も姿を現しておりません。村長選びに積極的な者で、改革派がタヌキ様、イヌ様、クマ様で、保守派がネコ様、スズメ様、キジ様でございます。またそういった事に頓着なさらないのが、ウシ様、シカ様です。それと……そうですね、ウシ様は、私の味方をして下さっています』
「ウシさんが?」
『はい。私が最下位でありながら、それなりに身を守れているのは、ウシ様のおかげです』
ふーん。魔法使いの世界にも色々有るみたいだ。じゃあ、警戒すべき魔法使いは、タヌキ、イヌ、クマ、ネコ、スズメ、キジの六人ってわけだ。なるほどなあ、敵は多い。そんなに敵が多いのに、キツネ君は俺の事を話さなくて、本当に大丈夫なんだろうか。ウシさんが守ってくれると言ったって、今の話じゃあそれほど強いわけでもなさそうだったのに。
またしばらく沈黙が続く。するとキツネ君が、『私は先生が羨ましいです』と呟いた。
「うん?」
『先生は……村中の人に愛されていますし、立派に仕事をなさっているし。私のような弱い魔法使いと違って、……人を救う事も出来るでしょう。ですから、少し羨ましいのです』
「そんな事は無いよ、俺だって人間だから、何でも出来るわけじゃない。確かに治療された側にしてみれば、魔法のように治してもらえたのかもしれないけど、それは医者が知っているから治せるだけの事だしね。治せない病気もいっぱい有るさ、そういう時は励ます事しか出来ない、無力だよ」
『……ですが、その励ましに救われる人間も居るでしょう。……私は貴方のような御方は尊敬すべきだと思っております』
本心なのか、お世辞なのか。キツネ君はやたらに俺の事を褒めてくる。むず痒いのと、俺はそんな大層な人間じゃない、という自己嫌悪というか卑下というか、そういうものが重なって、俺も「そんなこと無いよ」と少しムキになってしまう。
「言ってなかったけど、俺は街の病院じゃあ、ダラダラ仕事をしてたんだ。自分の事も好きじゃないし、やる気だって無かったと思うよ。そうこうしているうちに色々人間関係でも合ってね、居心地が悪くなった。ここには逃げて来たんだよ。田舎に行ったら何か変わるかもしれない、ってね。……でも俺は、何も変わってない。自分の事は今でも好きじゃないし、大した診療が出来ているとも思わない、俺だから病人を救えたわけじゃないし、俺が診たって死ぬ事は止められない……俺は、……誰かに尊敬されるような人間じゃないさ」
言っていて、悲しくなってきた。こんな話は他人にあまりしないのに。キツネ君の顔を見てみたけど、白いお面はいつもの表情のままで、どう感じられているかは判らない。キツネ君はそれから何も言わなかった。
そうこうしているうちに診療所に着く。戸を開けて中に入ると、キツネ君は入らず、ビニール傘を受け取ると頭を下げた。
『……村長選びも残り二週間、そろそろ村長の座を狙う方々が躍起になる頃かと。くれぐれも、お気をつけて……』
「うん。……キツネ君も気を付けてね、帰り道。大丈夫? 懐中電灯要る?」
『いえ、ご心配無く。夜道は慣れておりますので……』
キツネ君はそう言うと、もう一度頭を下げて、そそくさと帰って行った。しばらく見送っていたが、すぐに見えなくなった。こんな真っ暗な道を戻れるんだから、魔法は確かに使えるのかもしれないなあと思った。
と、思った矢先、遠くで「ずべしゃあ!」といった音がする。明らかに誰かが転んだ音のような気がする。「キツネ君、大丈夫?」と声をかけたが、『御心配無く』と小さく聞こえて、それで音も途絶えた。
本当に少し抜けているなあ、と思った。神楽の村長に、イタズラを見抜かれるのも無理は無い。怪我なんてしてなければいいんだけど。
それはともかく、自分の身を守らなければ。何をすればいいか判らないから、やっぱり何もしない事に徹しよう。そう思った。
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