思いのほか長くなっちゃったんで分割。
一応終わりました。掲載時には加筆修正しますけども。
以下、ひさこた その1。
一応終わりました。掲載時には加筆修正しますけども。
以下、ひさこた その1。
小太郎にとって不運だったのは、第一発見者である自分が声を持っていないという事と、そしてその時間帯は皆、就寝しているという事、さらにそういう場合に冷静な判断を持って救助を求める方法というのを知らなかった事だ。
声が使えない彼は長い間、電話という物に触れていない。よって彼はとりあえず救急に連絡するという事を考え付かなかった。そんな事で介護師になれるか、と小太郎は後々悔いる事になるのだが、その時の小太郎はそれでも必死だった。
なんとか誰かに救急車を呼んでもらわなければいけない、と彼は街に出る。が、まだ夜も明けないこの時間、人も居なければ電気の付いている家も無い。彼は試しに叫んでみたが、喉は声を作らない。
(こんな事になってまで出ないなんて、俺はいつになったら喋る気なんだ!)
自分の喉をぐっと押さえ、憎しみをこめてもう一度叫んでも、しんと静まり返った街に何の変化も無い。小太郎は「こたちゃんは本当は喋りたくないんだ」という佐助の言葉を思い出して、首を振る。
喋りたいとか喋りたくないとか、そういう問題じゃない、喋らなきゃいけないのに!
小太郎はそして自転車を放ったまま走り始めた。小太郎は声が出ない。下手な家に駆け込んでも、上手く事情が説明出来る気がしない。ましてや小太郎は久秀の血で服を汚していたので、怯えられる可能性も有った。だから小太郎には最寄の家というのが山の上になる。山に登るなら徒歩のほうが速いと小太郎は知っていたから、足が悲鳴を上げるのも無視して、小太郎は駆けた。
北条、という表札のかかった家に辿り着く。何度かチャイムを鳴らして、ドンドンと扉を叩いた。近頃耳が遠くなり始めた氏政に届くように、力一杯玄関で暴れると、氏政は恐る恐ると言った様子で窓からこちらを見て、それから訪問者が小太郎である事に気付くと、慌てた様子で窓を開けた。小太郎はすぐにそちらへ向かう。
「ど、どうしたんじゃ小太郎、こんな時間に、ん、お前、その血はどうしたんじゃ、何か有ったのか!?」
氏政が青褪めるのを見て、小太郎は必死に手を振り、そして口で言葉を作った。氏政も近頃、小太郎の言う事を理解しようと、少しづつ手話を覚えてきていたので、もしかしたら通じるかもしれない、という期待をこめて言葉を作る。
「誰か、怪我をしたのか? 何、…………小太郎、お前、」
氏政が妙な反応をしたのにも気付かず、小太郎はもう一度同じ動作と、言葉を繰り返す。
「松永の所に救急車を呼んでほしいんじゃな!?」
そう力強く尋ねられて、小太郎は大きく頷いた。通じた、通じてくれた、と小太郎は安堵しながら、踵を返す。
「あ、待つんじゃ小太郎! 小太郎!」
氏政は呼び止めていたが、小太郎は止まらなかった。
山を駆け下り、久秀の家に戻っても、まだ救急車は来ていなかった。何が救急だ、と心の中で毒づきながら、再び久秀の家に入る。心臓が破裂しそうなほど疲れていたが、なんとか階段を登る。と、久秀は小太郎を見ていた。
「すまないね、ちょっと寝ていたようだ。なんのはなしをしていたんだったかな……」
と、久秀は小太郎に向けてなのか判らない言葉を吐いた。というのも久秀は小太郎の方を向いていたが、小太郎を見てはいなかったのだ。そんな久秀に近寄ると、その手をぎゅっと握る。
もうすぐ、救急車が来ますから。
そう伝えると、久秀は少しだけ目を見開いて、そして笑う。
「……卿は私が思っていたより、凛々しいのだな……いや、益々好きになった」
と、久秀はいつか言っていた言葉を繰り返す。小太郎にはその意味が判らなかったが、きっと朦朧としているんだろうと思って、深くは考えなかった。
「なんの話だったかな、ああ、そう、そうだ、どこかの偉い哲学者がね、誰だったか忘れたんだが、いやもう歳だな。中庸という素晴らしい考えを作ったのだよ」
どういう意味ですか、と優しく問うと、久秀も優しく答える。
「人間は偏りなく生きるのがいいという事を言ったのだね。自信を失えば卑屈になり、過度に持てば傲慢になるといった風に。自信は必要だが、卑屈になるのも傲慢になるのも良くないという事だ。つまりは、だね」
久秀は小太郎の目を覗き込んで言った。
「卿は卿なりに良かれと思って卑屈になっているのだろうが、それは余計だという事なのだよ、判るかね?」
「……」
「私ほど傲慢になる必要も無いが、卿ほど卑屈になる事も無い。いや我々がもし一つになって二で割れたとしたら中庸が出来るかもしれないな。……だからね、けいに私は言わなければならないことがあるのだよ」
…………それは、なんですか?
小太郎が尋ねると、久秀はにっこり笑んで、小太郎を撫でた。
「いいかね、わたしはあのくそババアに愛されていたらしい、あれほど迷惑をかけたババアにだよ、しかもあのくされ外道まで、死ぬ間際にはわたしを探して泣き喚いたそうだ、いやわたしは行ってやらなかった最低の男だがね。
つまり何かといえば、けいはけいが思っているより愛されていないかもしれないし、同時に思っているより愛されているかもしれないわけで、つまりだな、わたしはけいが思っているよりずっとずっとけいが好きだ、だからけいもいいかげんに、けいを愛してあげなさい、許してあげなさい。
ああなにやらお迎えが来たようだ、いいかね、一つだけ言っておくよ、いやけいにはたくさんの事を言いたいが、一つ言っておく、意外なほど世の中はあっという間に移り変わって、そう、何がなんだかわからない間にね、ほしかったものは無くなってしまうんだ、ならば愛でたほうがいい。
自分が嫌われるかもしれないなんて、相手を傷つけるかもなんて足を止めている時間など無いのだよ、だからけいはもっとわたしのところはふみこんできてよいのだからね、だからそのためにもけいは、もっとじぶんをあいするべきだ、わかったね、では、また、そのうち、あおう、こたろうくん」
久秀は救急隊員に連れて行かれた。小太郎は第一発見者として警察から事情を聞かれる事になったが、その頃に現場へ佐助がやって来た。氏政が救急に連絡した直後、佐助に電話をしたらしい。
小太郎一人では警察との会話が出来ない可能性も有ったし、第一、「この状況じゃあ小太郎が一番に疑われてしまうじゃろう」という氏政の言葉の通り、小太郎は不幸な事に疑われる立場に有った。時間帯が時間帯であるし、目撃者も居ないのだ。だからまずは小太郎が疑われる事になる。
それに対して佐助は、夜中近くまで二人で居た事や小太郎と久秀が知り合いである事、小太郎の出勤時間については少なくとも新聞社が知っているはずだという事を訴えた。警察のほうも血の固まり具合や残された足跡と小太郎のそれが一致しない事、それに搬送される時に被害者が意識が有った事などからとりあえず疑う事を保留したようだった。
慌しい朝だった。パトカーは駆けつけるし、必然的に野次馬も来た。小太郎が手伝っている新聞社の社長も来て、証言をすると後は小太郎の代わりに配達に行ってくれた。
松永さんは大丈夫だろうか。
久秀の家の前で、ぼうっと警察達の動きを見ながら、小太郎は考える。と、佐助が缶コーヒーを持ってやって来る。「寒いね」と佐助はそれだけを言って、温かいコーヒーを小太郎に手渡した。小太郎も黙って受け取って、ただそれで暖を取る。
「松永さん、命に別状無いって。すごい強運なんだってさ。いやこんな事言っちゃ不謹慎だけど、世の中には運がいい人も居るんだね」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……コタ、……あのさ」
佐助が声をかけてきたので、小太郎は顔を上げる。佐助は小太郎を見ない。
「……あのさ、じいさんがさ、変な事言ってたんだ」
「……」
「……コタがさ、……喋ったんだって」
佐助の言葉に、小太郎はきょとんとした顔をする。佐助はちらと小太郎の顔を見て、「あれ」と声を出した。
「コタ、……気付いてなかったの?」
「……」
「そりゃあもう早口で、コタが思ってたよりずっと低い声で、しかも小さかったから、聞き取るの、大変だったらしいよ。……でもじいさん、確かに聞いたんだって。……コタが、喋るの。……コタは、……喋ったつもりはないの?」
そう聞かれて、小太郎はただ、首を振った。
そんなはずない、そんなはずは。俺は、喋れないんだから。あんなにせっぱづまっても、それでも声は出なかったんだから。
「……コタ、どうしてそんな、……全力で否定するの? ……なんか……自分が喋ってちゃ困るみたいだ」
困る? 困る事は無い、喋れるって素晴らしい事だ、声が出たら何でも言える、何でも、言いたい事は何でも言えるようになる、そうしたら俺は、……俺はすぐにでも、……すぐにでも。
「……すぐにでも、……何? コタは……言いたい事が有るの?」
俺? 俺が言いたい事? 俺が言いたい事、それって、ああでもそれは言っちゃダメだから、だから俺は言わない、言えない、言っちゃいけないんだ。
「何を言っちゃいけないの? ……ねぇコタ、言っていい事と悪い事って確かに有るよ、でもだからって喋っちゃいけないって事にはならない。……コタはもしかして、……ずっとそこを間違えてたのか……?」
何? 何を言ってるんだ、佐助は。喋っちゃいけないんだ、俺は。俺は喋っちゃいけない。
「コタ……コタ、」
だって、だって俺の、声は、
「コタ、」
だってそうじゃないか、俺は、……俺の声は、あいつの声だ、お父さんに嘘っぱちの愛を語ったあいつの声だ、お父さんを傷付けたあいつの声だ、お父さんを裏切ったあいつの、あいつの、あいつの、ああ、そう、俺は俺はずっとずっとずっと! ずっと! あいつが! 殺したいほど憎かったんだ!
「コタ……」
俺は皆が言うような天使じゃなくて、そう、あいつが俺の事をそういったように、俺は悪魔なんだ、あいつの事を呪ってやったんだ、あいつに呪いの言葉をかけてやったんだ、そうしたら俺の声も出なくなった、でも出なくてもいいんだ、こんな声、こんな汚い声、あいつと同じ声なんて、要らない要らない要らないそんな声でお父さんに言葉をかけるぐらいだったら、俺は、俺は一生喋れなくたっていいって、あの時、あの時、
「コタ!」
おれは、きれいなんかじゃない、あいされるしかくなんてない、だから、だから、まつながさんも、……だから俺は一生声が出ないんだ、そうじゃないといけな、
「コタ!!」
佐助に怒鳴られて、小太郎ははっと佐助を見る。佐助は小太郎をじっと見据えて、言った。
「そんなに自分を憎むなよ! コタのせいじゃないだろ、コタが悪かったわけでもないだろ! コタがお父さんを裏切ったんじゃない! そうだろ、なんでコタがそんなに自分の事を憎まなきゃいけないんだよ!」
俺は、違う、俺じゃなくて、あいつを、
「同じ事だ、コタがそんなにコタを憎む必要なんて無いんだ、そうだろ、なんでコタはお父さんを愛してる自分までそんな風に否定しちゃうんだよ、違うだろ、コタは確かに天使じゃないよ、でもそれって人間だって事だ、それの何が悪いってんだよ、人間は人を嫌うし憎むし、でも同時に愛するんだ、だからコタがそんなに自分の事を憎む必要なんて無いんだ」
でも、俺は、
「どうしてコタは自分の事を愛してあげないんだよ!」
――わたしはけいが思っているよりずっとずっとけいが好きだ、だからけいもいいかげんに、けいを愛してあげなさい、許してあげなさい――。
小太郎は呆然と佐助を見る。佐助は尚も続けた。
「さっきからコタ、喋ってるんだよ!? なんでそれを認めてあげないの、どうして自分を知ってあげないの、どうしてあんなに喋りたがってるのに、いざ喋ったらそれを否定するの、大丈夫だよ、コタが喋ったって誰も責めない、大丈夫だから、ねぇコタ、だからもう、止めてくれよ、お願いだから、ねえ、辛かったんだろ、悲しかったんだろ、悔しかったんだろ、だからそれを自分に向けるはもう止してくれよ、もう終わったんだろ、どうしてコタは自分の事を見てあげないんだよ、なあ、なあ……」
そして小太郎はようやっと、自分がそれまで、心の中で言っていたはずの事が、佐助に伝わってしまった理由を知った。
人は天使に憧れる。天使は愛しか持たないから。
天使は人に憧れる。人は負を持っているから。
人は天使を愛さない。天使は負を知らないから。
天使は人を愛さない。人は天使を愛さないから。
声が使えない彼は長い間、電話という物に触れていない。よって彼はとりあえず救急に連絡するという事を考え付かなかった。そんな事で介護師になれるか、と小太郎は後々悔いる事になるのだが、その時の小太郎はそれでも必死だった。
なんとか誰かに救急車を呼んでもらわなければいけない、と彼は街に出る。が、まだ夜も明けないこの時間、人も居なければ電気の付いている家も無い。彼は試しに叫んでみたが、喉は声を作らない。
(こんな事になってまで出ないなんて、俺はいつになったら喋る気なんだ!)
自分の喉をぐっと押さえ、憎しみをこめてもう一度叫んでも、しんと静まり返った街に何の変化も無い。小太郎は「こたちゃんは本当は喋りたくないんだ」という佐助の言葉を思い出して、首を振る。
喋りたいとか喋りたくないとか、そういう問題じゃない、喋らなきゃいけないのに!
小太郎はそして自転車を放ったまま走り始めた。小太郎は声が出ない。下手な家に駆け込んでも、上手く事情が説明出来る気がしない。ましてや小太郎は久秀の血で服を汚していたので、怯えられる可能性も有った。だから小太郎には最寄の家というのが山の上になる。山に登るなら徒歩のほうが速いと小太郎は知っていたから、足が悲鳴を上げるのも無視して、小太郎は駆けた。
北条、という表札のかかった家に辿り着く。何度かチャイムを鳴らして、ドンドンと扉を叩いた。近頃耳が遠くなり始めた氏政に届くように、力一杯玄関で暴れると、氏政は恐る恐ると言った様子で窓からこちらを見て、それから訪問者が小太郎である事に気付くと、慌てた様子で窓を開けた。小太郎はすぐにそちらへ向かう。
「ど、どうしたんじゃ小太郎、こんな時間に、ん、お前、その血はどうしたんじゃ、何か有ったのか!?」
氏政が青褪めるのを見て、小太郎は必死に手を振り、そして口で言葉を作った。氏政も近頃、小太郎の言う事を理解しようと、少しづつ手話を覚えてきていたので、もしかしたら通じるかもしれない、という期待をこめて言葉を作る。
「誰か、怪我をしたのか? 何、…………小太郎、お前、」
氏政が妙な反応をしたのにも気付かず、小太郎はもう一度同じ動作と、言葉を繰り返す。
「松永の所に救急車を呼んでほしいんじゃな!?」
そう力強く尋ねられて、小太郎は大きく頷いた。通じた、通じてくれた、と小太郎は安堵しながら、踵を返す。
「あ、待つんじゃ小太郎! 小太郎!」
氏政は呼び止めていたが、小太郎は止まらなかった。
山を駆け下り、久秀の家に戻っても、まだ救急車は来ていなかった。何が救急だ、と心の中で毒づきながら、再び久秀の家に入る。心臓が破裂しそうなほど疲れていたが、なんとか階段を登る。と、久秀は小太郎を見ていた。
「すまないね、ちょっと寝ていたようだ。なんのはなしをしていたんだったかな……」
と、久秀は小太郎に向けてなのか判らない言葉を吐いた。というのも久秀は小太郎の方を向いていたが、小太郎を見てはいなかったのだ。そんな久秀に近寄ると、その手をぎゅっと握る。
もうすぐ、救急車が来ますから。
そう伝えると、久秀は少しだけ目を見開いて、そして笑う。
「……卿は私が思っていたより、凛々しいのだな……いや、益々好きになった」
と、久秀はいつか言っていた言葉を繰り返す。小太郎にはその意味が判らなかったが、きっと朦朧としているんだろうと思って、深くは考えなかった。
「なんの話だったかな、ああ、そう、そうだ、どこかの偉い哲学者がね、誰だったか忘れたんだが、いやもう歳だな。中庸という素晴らしい考えを作ったのだよ」
どういう意味ですか、と優しく問うと、久秀も優しく答える。
「人間は偏りなく生きるのがいいという事を言ったのだね。自信を失えば卑屈になり、過度に持てば傲慢になるといった風に。自信は必要だが、卑屈になるのも傲慢になるのも良くないという事だ。つまりは、だね」
久秀は小太郎の目を覗き込んで言った。
「卿は卿なりに良かれと思って卑屈になっているのだろうが、それは余計だという事なのだよ、判るかね?」
「……」
「私ほど傲慢になる必要も無いが、卿ほど卑屈になる事も無い。いや我々がもし一つになって二で割れたとしたら中庸が出来るかもしれないな。……だからね、けいに私は言わなければならないことがあるのだよ」
…………それは、なんですか?
小太郎が尋ねると、久秀はにっこり笑んで、小太郎を撫でた。
「いいかね、わたしはあのくそババアに愛されていたらしい、あれほど迷惑をかけたババアにだよ、しかもあのくされ外道まで、死ぬ間際にはわたしを探して泣き喚いたそうだ、いやわたしは行ってやらなかった最低の男だがね。
つまり何かといえば、けいはけいが思っているより愛されていないかもしれないし、同時に思っているより愛されているかもしれないわけで、つまりだな、わたしはけいが思っているよりずっとずっとけいが好きだ、だからけいもいいかげんに、けいを愛してあげなさい、許してあげなさい。
ああなにやらお迎えが来たようだ、いいかね、一つだけ言っておくよ、いやけいにはたくさんの事を言いたいが、一つ言っておく、意外なほど世の中はあっという間に移り変わって、そう、何がなんだかわからない間にね、ほしかったものは無くなってしまうんだ、ならば愛でたほうがいい。
自分が嫌われるかもしれないなんて、相手を傷つけるかもなんて足を止めている時間など無いのだよ、だからけいはもっとわたしのところはふみこんできてよいのだからね、だからそのためにもけいは、もっとじぶんをあいするべきだ、わかったね、では、また、そのうち、あおう、こたろうくん」
久秀は救急隊員に連れて行かれた。小太郎は第一発見者として警察から事情を聞かれる事になったが、その頃に現場へ佐助がやって来た。氏政が救急に連絡した直後、佐助に電話をしたらしい。
小太郎一人では警察との会話が出来ない可能性も有ったし、第一、「この状況じゃあ小太郎が一番に疑われてしまうじゃろう」という氏政の言葉の通り、小太郎は不幸な事に疑われる立場に有った。時間帯が時間帯であるし、目撃者も居ないのだ。だからまずは小太郎が疑われる事になる。
それに対して佐助は、夜中近くまで二人で居た事や小太郎と久秀が知り合いである事、小太郎の出勤時間については少なくとも新聞社が知っているはずだという事を訴えた。警察のほうも血の固まり具合や残された足跡と小太郎のそれが一致しない事、それに搬送される時に被害者が意識が有った事などからとりあえず疑う事を保留したようだった。
慌しい朝だった。パトカーは駆けつけるし、必然的に野次馬も来た。小太郎が手伝っている新聞社の社長も来て、証言をすると後は小太郎の代わりに配達に行ってくれた。
松永さんは大丈夫だろうか。
久秀の家の前で、ぼうっと警察達の動きを見ながら、小太郎は考える。と、佐助が缶コーヒーを持ってやって来る。「寒いね」と佐助はそれだけを言って、温かいコーヒーを小太郎に手渡した。小太郎も黙って受け取って、ただそれで暖を取る。
「松永さん、命に別状無いって。すごい強運なんだってさ。いやこんな事言っちゃ不謹慎だけど、世の中には運がいい人も居るんだね」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……コタ、……あのさ」
佐助が声をかけてきたので、小太郎は顔を上げる。佐助は小太郎を見ない。
「……あのさ、じいさんがさ、変な事言ってたんだ」
「……」
「……コタがさ、……喋ったんだって」
佐助の言葉に、小太郎はきょとんとした顔をする。佐助はちらと小太郎の顔を見て、「あれ」と声を出した。
「コタ、……気付いてなかったの?」
「……」
「そりゃあもう早口で、コタが思ってたよりずっと低い声で、しかも小さかったから、聞き取るの、大変だったらしいよ。……でもじいさん、確かに聞いたんだって。……コタが、喋るの。……コタは、……喋ったつもりはないの?」
そう聞かれて、小太郎はただ、首を振った。
そんなはずない、そんなはずは。俺は、喋れないんだから。あんなにせっぱづまっても、それでも声は出なかったんだから。
「……コタ、どうしてそんな、……全力で否定するの? ……なんか……自分が喋ってちゃ困るみたいだ」
困る? 困る事は無い、喋れるって素晴らしい事だ、声が出たら何でも言える、何でも、言いたい事は何でも言えるようになる、そうしたら俺は、……俺はすぐにでも、……すぐにでも。
「……すぐにでも、……何? コタは……言いたい事が有るの?」
俺? 俺が言いたい事? 俺が言いたい事、それって、ああでもそれは言っちゃダメだから、だから俺は言わない、言えない、言っちゃいけないんだ。
「何を言っちゃいけないの? ……ねぇコタ、言っていい事と悪い事って確かに有るよ、でもだからって喋っちゃいけないって事にはならない。……コタはもしかして、……ずっとそこを間違えてたのか……?」
何? 何を言ってるんだ、佐助は。喋っちゃいけないんだ、俺は。俺は喋っちゃいけない。
「コタ……コタ、」
だって、だって俺の、声は、
「コタ、」
だってそうじゃないか、俺は、……俺の声は、あいつの声だ、お父さんに嘘っぱちの愛を語ったあいつの声だ、お父さんを傷付けたあいつの声だ、お父さんを裏切ったあいつの、あいつの、あいつの、ああ、そう、俺は俺はずっとずっとずっと! ずっと! あいつが! 殺したいほど憎かったんだ!
「コタ……」
俺は皆が言うような天使じゃなくて、そう、あいつが俺の事をそういったように、俺は悪魔なんだ、あいつの事を呪ってやったんだ、あいつに呪いの言葉をかけてやったんだ、そうしたら俺の声も出なくなった、でも出なくてもいいんだ、こんな声、こんな汚い声、あいつと同じ声なんて、要らない要らない要らないそんな声でお父さんに言葉をかけるぐらいだったら、俺は、俺は一生喋れなくたっていいって、あの時、あの時、
「コタ!」
おれは、きれいなんかじゃない、あいされるしかくなんてない、だから、だから、まつながさんも、……だから俺は一生声が出ないんだ、そうじゃないといけな、
「コタ!!」
佐助に怒鳴られて、小太郎ははっと佐助を見る。佐助は小太郎をじっと見据えて、言った。
「そんなに自分を憎むなよ! コタのせいじゃないだろ、コタが悪かったわけでもないだろ! コタがお父さんを裏切ったんじゃない! そうだろ、なんでコタがそんなに自分の事を憎まなきゃいけないんだよ!」
俺は、違う、俺じゃなくて、あいつを、
「同じ事だ、コタがそんなにコタを憎む必要なんて無いんだ、そうだろ、なんでコタはお父さんを愛してる自分までそんな風に否定しちゃうんだよ、違うだろ、コタは確かに天使じゃないよ、でもそれって人間だって事だ、それの何が悪いってんだよ、人間は人を嫌うし憎むし、でも同時に愛するんだ、だからコタがそんなに自分の事を憎む必要なんて無いんだ」
でも、俺は、
「どうしてコタは自分の事を愛してあげないんだよ!」
――わたしはけいが思っているよりずっとずっとけいが好きだ、だからけいもいいかげんに、けいを愛してあげなさい、許してあげなさい――。
小太郎は呆然と佐助を見る。佐助は尚も続けた。
「さっきからコタ、喋ってるんだよ!? なんでそれを認めてあげないの、どうして自分を知ってあげないの、どうしてあんなに喋りたがってるのに、いざ喋ったらそれを否定するの、大丈夫だよ、コタが喋ったって誰も責めない、大丈夫だから、ねぇコタ、だからもう、止めてくれよ、お願いだから、ねえ、辛かったんだろ、悲しかったんだろ、悔しかったんだろ、だからそれを自分に向けるはもう止してくれよ、もう終わったんだろ、どうしてコタは自分の事を見てあげないんだよ、なあ、なあ……」
そして小太郎はようやっと、自分がそれまで、心の中で言っていたはずの事が、佐助に伝わってしまった理由を知った。
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