寒いと関節炎が……痛いです。
あと腰も痛いです。おこたに入るとどうしても。
以下、ひさこた。流血沙汰です。
あと腰も痛いです。おこたに入るとどうしても。
以下、ひさこた。流血沙汰です。
小太郎はアパートに戻ると、佐助に会いに行った。佐助は小太郎がもう来ないだろうと思っていたらしく、驚いていた。そんな佐助に、小太郎は今までの事やこれからの事や、今まで思ってきた事を洗いざらい話した。手話と、そして声で。それについて佐助は何も言わなかった。最後まで話すと、佐助は「ごめん」と小太郎に頭を下げて、そして小太郎を抱きしめた。
佐助と小太郎の関係は変化した。
佐助は小太郎の事を、「コタ」と呼ぶようになった。以降どんなに酔っ払っても小太郎に手を出さなくなった。ただ時折じゃれあって抱きしめられたりはしたけれど、それ以上の何も無い。
小太郎は手話と共に口を使うようになって、時折「いやだ」と素直に否定の感情を露にした。俺はこう思う、と意見を言うようになった。それだけだったが、小太郎にとっては大きな進歩だった。
小太郎は久秀の家を訪れなくなった。代わりに、真面目に発音の練習などに取り組んだ。いつか、声が出るようになったら、あの人に会って、一緒に居ても、笑いあえるようになったら。小太郎はそう考えて、なんとか喋る練習をした。
けれど声は一向戻ってこない。こんなに戻ってきて欲しいのに、それでも、帰っては来なかった。
12月下旬の、ある夜中の事。
久秀はふいに物音で目を覚ました。そ、と手元の時計を見ても、まだ深夜を差していて、久秀は首を傾げる。と、また物音がした。どうやら気のせいではないらしい。
久秀はのろりと布団から出ると、傍に置いてあった上着を羽織り、部屋を出る。廊下を進んでいると、ふいに人影を見つけた。
「……誰だ?」
久秀が静かに声を掛けると、人影は久秀を見て、そして、
「!」
久秀に殴りかかってきた。久秀は咄嗟に避けたが、寝起きの冷えた体は思うように動かない。次の一撃を、久秀はかわせなかった。
ず、と、妙な音が体内に響いて、久秀は思わず目を見開いた。
刺された、と認知した直後、久秀は力いっぱい頭を殴りつけられて、そして床に倒れると、それきり静かになった。
「死ねぇええこのクソガキがぁあああ!」
そう言って一升瓶を振り回す中年に、久秀は「上等だ来やがれこの酔っ払いが!」と若々しい声で叫び、突進する。ガツンと頭に瓶が当たって血が出たが、久秀はそんな事は気にしなかった。男を床に押し倒すと、馬乗りになってガツガツ殴った。殴った拳の骨が軋んだ。
(馬鹿らしい。今の私なら素手で殴ったりしない。自分の手が痛いのなら攻撃の意味がないではないか。いやしかし、卿は落ち着いたらどうかね、相手はまだまだ頑張るのだから、ああ、ああ……)
そうこうしている内に、部屋に女が入って来た。キャァアアやめて、と甲高い声で叫んだ女は、中年から久秀を引き剥がそうとした。久秀は女を振り解いたが、女に注意力を奪われたせいで、中年を取り逃がす事になった。中年は今度は久秀に飛び掛り、殴ったり蹴ったりと忙しい。
(ああなんという非効率な争いだ。止めないか、お互いに得も無い、こんな事をしても)
久秀は痛みに堪えながら隙をうかがい、ある時手元の一升瓶を中年に向けて振るった。中年はぼごんという妙な音を立ててわき腹を叩かれ、床に転がった。それを見て久秀は残虐な笑みを浮かべて、衝動的に包丁を探した。それはもう本能とかそういったものに近かった。
だが包丁は既に他の人物に奪われていた。ババアだ。ババアは包丁を震えて持って、ただただ虚空を見ていた。
「おいババア、それをよこせ」
久秀はそう言ったのだけれど、ババアは聞こえていないのか、ややして、きぃいええ、というような奇声を上げると、床に転がっていた中年に包丁を刺しに行った。中年はこれ以上無いほど驚いて、「やめろ、×××!(久秀はババアの名前をついに知る事が出来なかった)」と叫び、ババアの手を掴む。ババアはそれこそ鬼の形相で包丁をブルブル言わせていた。
おい、お前手伝え、と中年が女に指示すると、女がババアの包丁を取ろうとした。するとババアはそれこそ鬼のような馬鹿力で中年を蹴り付けると、そのまま女に包丁を向けて、追い掛け回した。なるほど鬼ごっことはこういう遊びなのだなあと久秀は妙に感心した覚えがある。奇声を上げて包丁を振り回すババアと、金切り声を上げて逃げ惑う女の遊戯を久秀はしばらく呆然と見ていたが、ややして自分の目的を思い出すと、中年のほうに向かった。
中年は「やめろ、やめろ落ち着け、×××!」となにやらしきりに誰かの名前を呼んでいたが、ババアは暴れまわって手に負えない。そんな彼らのところへ、久秀は探し出した金槌を持って迫った。中年は気付くと、ババアを庇うように久秀の前に立ちふさがった。その事があまりに奇妙で、久秀は呆然としてしまった。何故、この男がババアを俺から守ろうとするんだ、と。
と、女がまた金切り声を上げた。気付いて男がババアを振り返る。ババアは渾身の力で中年を刺そうとしていた。中年は直前に気付いて、身を引いた。
だから、
どず、
と、胸の近くを刺されたのは久秀になったし、そのあまりの力に久秀はその場にひっくり返り、段差に姿勢を崩して、足まで折った。
そして久秀が床に沈んだ事で、この一家はようやく落ち着きを取り戻したのだった。
あぁああああぁあぁあ、と悲鳴を上げて錯乱しているババアは久秀を揺さ振っていたし、そんなババアを「落ち着け、×××」と中年は抱きしめていた。「大丈夫だコイツは生意気に俺譲りの強運を持っていやがるから、これぐらいかすり傷みてえなモンだ、お前が気にする事ぁ無い、大丈夫、悪かった、悪かった」と中年は泣きながら言い続け、「おいお前さっさと救急車でもなんでも呼べ、このグズ!」と女を怒鳴り続けていたし、女はあたふたと床を転がりながら電話のほうへと向かって行った。
いいからこれを抜けよ、と久秀は痛みに堪えながら考えていたが、ただ目の前で起こっている、ババアと抱き合って咽び泣く中年の姿に一種の感動さえ覚えていた。
ああこんな馬鹿な男でも、大切な物が有って、それを守るためなら命をかけるんだな、だとしたら俺はこの腐れ外道以下の阿呆だ。
久秀はそんな風に考えながら、天井を見ていた。ずっとずっとみていた。ふと気付くと見ていたはずの天井が、病院のそれに変わっていたけれど、傍にあるババアと中年の風景は変わっておらず、久秀は妙な気持ちになったのだった。
ふと久秀は目を開けた。久秀は床に倒れていた。酷く体が重く、腹が痛んだ。腹に手をやると、ぬると滑った。久秀は改めて、自分が刺された事を確認すると、のろのろと起き上がった。
がたごとという物音は未だに続いている。久秀は壁に背をもたれさせ、溜息を吐いた。持って行きたい物が有るなら持って行けばいい、通帳も現金も、命をかけて守るほどの物ではない……と、久秀は考える。というのも久秀の財産はその殆どが入念に隠されており、仮に久秀が何の遺書なども残さず死んだ場合には、人間どころか国でさえそれを手に入れる事が出来ないようになっていた。だから久秀はこの家に有る財産に何の興味も無かった。
しばらくそうしていると、強盗は二階へ上がったようだ。階段を登る音が聞こえて、久秀は眉を寄せた。
「まずいな、茶器は渡すわけにいかない」
久秀にとって茶器は人生だ。何十年という時間をかけて集めてきた名器達が、二階で静かに暮らしている。念のためにとその入り口には頑丈な鍵をかけているのだが、強盗はそこに金目の物が有ると信じてこじ開けるだろうし、そしてそこに並んでいる茶器を見るなり怒り狂って割ってしまうかもしれない。久秀はそう考えて、ゆっくりと立ち上がった。
のろのろ歩くたびに、血が流れるのを感じたが、久秀はそんな事には頓着しなかった。動くたびに痛いのは辛かったが、それ以上に辛いのは茶器達が無残に割られる音を聞く事だ、そしてその様を目の当たりにする事だ。
久秀は一度玄関まで行くと、そこに有る靴箱の裏に置いてあったバットを取り出した。「体に良いですよ」と言ってまた三人揃って金属やら木やらブランド物やらバットを持って来たが、久秀はどちらかといえばゴルフの方が好きで、使った事は無い。だが今回ばかりはこちらのほうが便利だろうと久秀は考えながら、バットを握ると、二階へと向かった。
途中、警察に連絡するべきか考えたが、久秀はどうでもいい事だと思ってやめた。速いか遅いかの違いなのだ。たったそれだけなら、遅くても構わない。だが茶器は今すぐ守りに行ってやらないと、死んでしまうのだ。だから久秀は階段を登った。
二階の廊下には先程の強盗の姿が有って、案の定彼は扉をこじ開けようと努力していた。そんな彼に歩み寄ると、彼はぎょっとした様子で久秀を見た(もっとも、彼は強盗の好む帽子をきちんと被っていたので、目ぐらいしか見えなかったが)
「……そこには卿の求めるような物はないよ、だからそこに入る事は私が許さない」
久秀はのんびりとそう言って、彼を見ている。彼もまた、こじ開ける手を止めて、久秀を見ている。
「金に困っているなら大金は要らないだろう、卿は見つけられなかったかもしれないがね、台所にコンロがあっただろう、あの魚を焼く所に通帳は入っているんだよ、しかも3通だ、すごいだろう。だからあれを持って帰れ。そこには入るな」
それとも何か現金がいいか、だったら冷蔵庫に300ほど入っているからそれを持って行きなさい。だからそこに入るのは止めろ。
久秀はそう言って、彼に近付く。彼は扉から離れて、後ろに逃げながら、ポケットからナイフを取り出した。
「私を殺すか、それもいい、だが今度はちゃんとしとめる事だな、どうしてもそこに入るなら、私にその場所を荒らすところを見せるな。入るならきちんと殺せ。それが礼儀というものだろう、ええ、小童が」
血のついたままのナイフの切っ先を見ながら、久秀が言う。久秀は瞬き一つしない。強盗はがたがた震えている。
「卿は私の人生を奪う覚悟でここに来たんだろう、なら私に奪われる覚悟も決めて来た、そうだろう、そうでないなら今すぐここから出て行け、負け犬が。価値も判らん馬鹿共に、私のものは渡さない、ああそうだともどうしても奪うというならさあ私を殺してみろ、殺せるものか、私は死なない、そう私は知っているのだからね!」
久秀は血を失い混乱しているらしく、自分でも何を言っているのか判らなくなりつつあった。だが尚更訳が判らなくなったのは強盗のほうらしい。彼はうわああ、と男らしい悲鳴を上げると、久秀に向かってナイフを構え、そして突進してきた。
それからの事を久秀は記憶していない。
12月の朝は寒い。手袋にマフラーに、ダウンジャケットに……と、全身を守った姿の小太郎は、いつも通り自転車をこいで、家々に新聞を配っていた。
まだ暗い道を街灯と自転車のライトを頼りに進んで行く。
集合住宅への配達が終わり、少し廃れた通りに入る。そこからは家の密度も減り、さらに山に登ると氏政のような一人暮らしの老人が増えてくる。
小太郎は静かに道を進み、そしてある家の前で止まった。表札には松永と書いてある。それをじっと見て、小太郎は小さく溜息を吐いてから、ポストにそろりと新聞を入れて。
そして、その違和感に気付いた。
「……?」
玄関の扉が開いているのだ。
久秀は妙な所で神経質な人間で、「夜就寝する時には開けていないと判っていても戸締りを確認するのがクセになっているのだよ」と言っていたほど、熱心に戸締りをするほうだ。
なのに、その玄関が開いている。それも、まだ朝の遠い時間に。
小太郎は一瞬考えてから、自転車から降りると、そうっと久秀の家に向かった。何度か訪問して覚えた電気のスイッチを探り、灯りを付けて、小太郎は驚愕した。
玄関に黒々とした赤い液体が散らばっているのだ。それが足跡さえ描き出している。足跡は一方は外へと向かって伸びて、玄関の入り口あたりで完全に途切れていた。もう一方は、家の中へ、廊下を真っ直ぐ、そして階段へ。
小太郎は背筋が冷たくなるのを感じた。恐ろしい予感に、手が震える。自分が手袋をしている事を確認して、そして血を踏まないように、のろのろと廊下を進む。何度か電気をつけて、階段に辿り着く。階段にもぽつりぽつりと血が落ちていて、小太郎は叫びたくなった。その場にへたり込みそうになるのをなんとか堪えて、二階に上がって行く。
と。
「……!」
二階の廊下は血で汚れ、何が有ったのかは知らないが壁はそこらじゅう傷だらけになっていた。小太郎さえ入った事が無い、コレクションルームの扉に、久秀がぐったりと背を預けて目を閉じているのが見えて、小太郎は慌てて駆け寄った。
腹や腕、足から出血していて、小太郎は青褪めた。もしかして、と最悪の事態を考えながら、そっと久秀の肩に触れる。
と。
「……う……」
久秀は僅かに呻き声を上げて、目を覚ました。その事に一瞬安堵したが、小太郎は震えが止まらなかった。
「……や、あ、こたろう、君。おどろいたかね?」
久秀は小太郎の顔を見ると、にっこり笑んだ。だがその声は苦しげで、まだ安心してはいけないのだと小太郎に悟らせる。
「いや、心配ないよ。私はね、死ぬときは、猫のように、象のように、そう、死体を、見られないように 死にたいと思っているんだ、だから、死にはしないよ、だってそうだろう、私はまだここに居るんだから、死ぬわけがない、ああそうだとも、私は死なない、まったくあの酔っ払いの言う事は確かだ、奴は私に女以外にも強運をくれたのだろうな……」
久秀はそうぶつぶつと呟いているが、小太郎にはその殆どが理解出来ない。だから尚更、小太郎は恐ろしくなった。松永さんは訳が判らない事を言い出すほど、危ない状態なのだ……と。
そう考えると悲しいわけではないのに涙が出てきた。ショックを鎮めようとする生体の反応だと小太郎も判っているのに、どうにも情けなくて、何かしようと思うのに、足に力が入らなくなっている自分が腹立たしくて、小太郎はただ久秀の手をぎゅっと握った。すると久秀も小太郎が泣いている事に気付いたらしい、「ああ」と悲しげに呟くと、小太郎の頬を撫でる。
「ああ何を泣いているんだね、泣かないでくれ、もし卿が泣いてしまうなら、私は卿より先に死ねないではないか。私はもう現世に興味などなかったのに、ああ小太郎君、好きにおし。したいようにしなさい。卿の出来る事をしなさい。それが卿を助けるだろう。大丈夫、卿には卿の言葉が有る。私はここに居るよ、ここで私はつなぎとめておくから、だから、どうか泣かないでおくれ……」
大丈夫、私は死んだりしない、卿をもう泣かせないと決めたのだが、いや私はここまできても卿を泣かせてばかりだな、せめて卿に嫌われないように勝手に死なない事を約束するから、だから卿は卿の満足のいくだろう事をするといい、卿は時には欲望に素直になるべきだ、そうだろう、ああ、そう、ああ、ババア、ババアの名前が思い出せない、ああ、……あぁ、……わたしはね、こたろうくん、命をかけてまもるような、そういうものを、……ああ私はあの外道以下だ、外道、そう、そうだ、そう、ああ痛い、めんどうだ、どうしてわたしは、ああそうだけいの、けいの、けいを、けいはどうしてここに、けいとはだれで、だれ、だれが、ああ、……。
久秀がそう呟き、やがて静かになる頃には、小太郎は足の力を取り戻していて、小太郎は一度久秀をぎゅっと抱きしめると、階段を駆け下りて、そして久秀の家を飛び出した。
++++++
次で終わるか、次と後日談ぐらいで終わらせます。
佐助と小太郎の関係は変化した。
佐助は小太郎の事を、「コタ」と呼ぶようになった。以降どんなに酔っ払っても小太郎に手を出さなくなった。ただ時折じゃれあって抱きしめられたりはしたけれど、それ以上の何も無い。
小太郎は手話と共に口を使うようになって、時折「いやだ」と素直に否定の感情を露にした。俺はこう思う、と意見を言うようになった。それだけだったが、小太郎にとっては大きな進歩だった。
小太郎は久秀の家を訪れなくなった。代わりに、真面目に発音の練習などに取り組んだ。いつか、声が出るようになったら、あの人に会って、一緒に居ても、笑いあえるようになったら。小太郎はそう考えて、なんとか喋る練習をした。
けれど声は一向戻ってこない。こんなに戻ってきて欲しいのに、それでも、帰っては来なかった。
12月下旬の、ある夜中の事。
久秀はふいに物音で目を覚ました。そ、と手元の時計を見ても、まだ深夜を差していて、久秀は首を傾げる。と、また物音がした。どうやら気のせいではないらしい。
久秀はのろりと布団から出ると、傍に置いてあった上着を羽織り、部屋を出る。廊下を進んでいると、ふいに人影を見つけた。
「……誰だ?」
久秀が静かに声を掛けると、人影は久秀を見て、そして、
「!」
久秀に殴りかかってきた。久秀は咄嗟に避けたが、寝起きの冷えた体は思うように動かない。次の一撃を、久秀はかわせなかった。
ず、と、妙な音が体内に響いて、久秀は思わず目を見開いた。
刺された、と認知した直後、久秀は力いっぱい頭を殴りつけられて、そして床に倒れると、それきり静かになった。
「死ねぇええこのクソガキがぁあああ!」
そう言って一升瓶を振り回す中年に、久秀は「上等だ来やがれこの酔っ払いが!」と若々しい声で叫び、突進する。ガツンと頭に瓶が当たって血が出たが、久秀はそんな事は気にしなかった。男を床に押し倒すと、馬乗りになってガツガツ殴った。殴った拳の骨が軋んだ。
(馬鹿らしい。今の私なら素手で殴ったりしない。自分の手が痛いのなら攻撃の意味がないではないか。いやしかし、卿は落ち着いたらどうかね、相手はまだまだ頑張るのだから、ああ、ああ……)
そうこうしている内に、部屋に女が入って来た。キャァアアやめて、と甲高い声で叫んだ女は、中年から久秀を引き剥がそうとした。久秀は女を振り解いたが、女に注意力を奪われたせいで、中年を取り逃がす事になった。中年は今度は久秀に飛び掛り、殴ったり蹴ったりと忙しい。
(ああなんという非効率な争いだ。止めないか、お互いに得も無い、こんな事をしても)
久秀は痛みに堪えながら隙をうかがい、ある時手元の一升瓶を中年に向けて振るった。中年はぼごんという妙な音を立ててわき腹を叩かれ、床に転がった。それを見て久秀は残虐な笑みを浮かべて、衝動的に包丁を探した。それはもう本能とかそういったものに近かった。
だが包丁は既に他の人物に奪われていた。ババアだ。ババアは包丁を震えて持って、ただただ虚空を見ていた。
「おいババア、それをよこせ」
久秀はそう言ったのだけれど、ババアは聞こえていないのか、ややして、きぃいええ、というような奇声を上げると、床に転がっていた中年に包丁を刺しに行った。中年はこれ以上無いほど驚いて、「やめろ、×××!(久秀はババアの名前をついに知る事が出来なかった)」と叫び、ババアの手を掴む。ババアはそれこそ鬼の形相で包丁をブルブル言わせていた。
おい、お前手伝え、と中年が女に指示すると、女がババアの包丁を取ろうとした。するとババアはそれこそ鬼のような馬鹿力で中年を蹴り付けると、そのまま女に包丁を向けて、追い掛け回した。なるほど鬼ごっことはこういう遊びなのだなあと久秀は妙に感心した覚えがある。奇声を上げて包丁を振り回すババアと、金切り声を上げて逃げ惑う女の遊戯を久秀はしばらく呆然と見ていたが、ややして自分の目的を思い出すと、中年のほうに向かった。
中年は「やめろ、やめろ落ち着け、×××!」となにやらしきりに誰かの名前を呼んでいたが、ババアは暴れまわって手に負えない。そんな彼らのところへ、久秀は探し出した金槌を持って迫った。中年は気付くと、ババアを庇うように久秀の前に立ちふさがった。その事があまりに奇妙で、久秀は呆然としてしまった。何故、この男がババアを俺から守ろうとするんだ、と。
と、女がまた金切り声を上げた。気付いて男がババアを振り返る。ババアは渾身の力で中年を刺そうとしていた。中年は直前に気付いて、身を引いた。
だから、
どず、
と、胸の近くを刺されたのは久秀になったし、そのあまりの力に久秀はその場にひっくり返り、段差に姿勢を崩して、足まで折った。
そして久秀が床に沈んだ事で、この一家はようやく落ち着きを取り戻したのだった。
あぁああああぁあぁあ、と悲鳴を上げて錯乱しているババアは久秀を揺さ振っていたし、そんなババアを「落ち着け、×××」と中年は抱きしめていた。「大丈夫だコイツは生意気に俺譲りの強運を持っていやがるから、これぐらいかすり傷みてえなモンだ、お前が気にする事ぁ無い、大丈夫、悪かった、悪かった」と中年は泣きながら言い続け、「おいお前さっさと救急車でもなんでも呼べ、このグズ!」と女を怒鳴り続けていたし、女はあたふたと床を転がりながら電話のほうへと向かって行った。
いいからこれを抜けよ、と久秀は痛みに堪えながら考えていたが、ただ目の前で起こっている、ババアと抱き合って咽び泣く中年の姿に一種の感動さえ覚えていた。
ああこんな馬鹿な男でも、大切な物が有って、それを守るためなら命をかけるんだな、だとしたら俺はこの腐れ外道以下の阿呆だ。
久秀はそんな風に考えながら、天井を見ていた。ずっとずっとみていた。ふと気付くと見ていたはずの天井が、病院のそれに変わっていたけれど、傍にあるババアと中年の風景は変わっておらず、久秀は妙な気持ちになったのだった。
ふと久秀は目を開けた。久秀は床に倒れていた。酷く体が重く、腹が痛んだ。腹に手をやると、ぬると滑った。久秀は改めて、自分が刺された事を確認すると、のろのろと起き上がった。
がたごとという物音は未だに続いている。久秀は壁に背をもたれさせ、溜息を吐いた。持って行きたい物が有るなら持って行けばいい、通帳も現金も、命をかけて守るほどの物ではない……と、久秀は考える。というのも久秀の財産はその殆どが入念に隠されており、仮に久秀が何の遺書なども残さず死んだ場合には、人間どころか国でさえそれを手に入れる事が出来ないようになっていた。だから久秀はこの家に有る財産に何の興味も無かった。
しばらくそうしていると、強盗は二階へ上がったようだ。階段を登る音が聞こえて、久秀は眉を寄せた。
「まずいな、茶器は渡すわけにいかない」
久秀にとって茶器は人生だ。何十年という時間をかけて集めてきた名器達が、二階で静かに暮らしている。念のためにとその入り口には頑丈な鍵をかけているのだが、強盗はそこに金目の物が有ると信じてこじ開けるだろうし、そしてそこに並んでいる茶器を見るなり怒り狂って割ってしまうかもしれない。久秀はそう考えて、ゆっくりと立ち上がった。
のろのろ歩くたびに、血が流れるのを感じたが、久秀はそんな事には頓着しなかった。動くたびに痛いのは辛かったが、それ以上に辛いのは茶器達が無残に割られる音を聞く事だ、そしてその様を目の当たりにする事だ。
久秀は一度玄関まで行くと、そこに有る靴箱の裏に置いてあったバットを取り出した。「体に良いですよ」と言ってまた三人揃って金属やら木やらブランド物やらバットを持って来たが、久秀はどちらかといえばゴルフの方が好きで、使った事は無い。だが今回ばかりはこちらのほうが便利だろうと久秀は考えながら、バットを握ると、二階へと向かった。
途中、警察に連絡するべきか考えたが、久秀はどうでもいい事だと思ってやめた。速いか遅いかの違いなのだ。たったそれだけなら、遅くても構わない。だが茶器は今すぐ守りに行ってやらないと、死んでしまうのだ。だから久秀は階段を登った。
二階の廊下には先程の強盗の姿が有って、案の定彼は扉をこじ開けようと努力していた。そんな彼に歩み寄ると、彼はぎょっとした様子で久秀を見た(もっとも、彼は強盗の好む帽子をきちんと被っていたので、目ぐらいしか見えなかったが)
「……そこには卿の求めるような物はないよ、だからそこに入る事は私が許さない」
久秀はのんびりとそう言って、彼を見ている。彼もまた、こじ開ける手を止めて、久秀を見ている。
「金に困っているなら大金は要らないだろう、卿は見つけられなかったかもしれないがね、台所にコンロがあっただろう、あの魚を焼く所に通帳は入っているんだよ、しかも3通だ、すごいだろう。だからあれを持って帰れ。そこには入るな」
それとも何か現金がいいか、だったら冷蔵庫に300ほど入っているからそれを持って行きなさい。だからそこに入るのは止めろ。
久秀はそう言って、彼に近付く。彼は扉から離れて、後ろに逃げながら、ポケットからナイフを取り出した。
「私を殺すか、それもいい、だが今度はちゃんとしとめる事だな、どうしてもそこに入るなら、私にその場所を荒らすところを見せるな。入るならきちんと殺せ。それが礼儀というものだろう、ええ、小童が」
血のついたままのナイフの切っ先を見ながら、久秀が言う。久秀は瞬き一つしない。強盗はがたがた震えている。
「卿は私の人生を奪う覚悟でここに来たんだろう、なら私に奪われる覚悟も決めて来た、そうだろう、そうでないなら今すぐここから出て行け、負け犬が。価値も判らん馬鹿共に、私のものは渡さない、ああそうだともどうしても奪うというならさあ私を殺してみろ、殺せるものか、私は死なない、そう私は知っているのだからね!」
久秀は血を失い混乱しているらしく、自分でも何を言っているのか判らなくなりつつあった。だが尚更訳が判らなくなったのは強盗のほうらしい。彼はうわああ、と男らしい悲鳴を上げると、久秀に向かってナイフを構え、そして突進してきた。
それからの事を久秀は記憶していない。
12月の朝は寒い。手袋にマフラーに、ダウンジャケットに……と、全身を守った姿の小太郎は、いつも通り自転車をこいで、家々に新聞を配っていた。
まだ暗い道を街灯と自転車のライトを頼りに進んで行く。
集合住宅への配達が終わり、少し廃れた通りに入る。そこからは家の密度も減り、さらに山に登ると氏政のような一人暮らしの老人が増えてくる。
小太郎は静かに道を進み、そしてある家の前で止まった。表札には松永と書いてある。それをじっと見て、小太郎は小さく溜息を吐いてから、ポストにそろりと新聞を入れて。
そして、その違和感に気付いた。
「……?」
玄関の扉が開いているのだ。
久秀は妙な所で神経質な人間で、「夜就寝する時には開けていないと判っていても戸締りを確認するのがクセになっているのだよ」と言っていたほど、熱心に戸締りをするほうだ。
なのに、その玄関が開いている。それも、まだ朝の遠い時間に。
小太郎は一瞬考えてから、自転車から降りると、そうっと久秀の家に向かった。何度か訪問して覚えた電気のスイッチを探り、灯りを付けて、小太郎は驚愕した。
玄関に黒々とした赤い液体が散らばっているのだ。それが足跡さえ描き出している。足跡は一方は外へと向かって伸びて、玄関の入り口あたりで完全に途切れていた。もう一方は、家の中へ、廊下を真っ直ぐ、そして階段へ。
小太郎は背筋が冷たくなるのを感じた。恐ろしい予感に、手が震える。自分が手袋をしている事を確認して、そして血を踏まないように、のろのろと廊下を進む。何度か電気をつけて、階段に辿り着く。階段にもぽつりぽつりと血が落ちていて、小太郎は叫びたくなった。その場にへたり込みそうになるのをなんとか堪えて、二階に上がって行く。
と。
「……!」
二階の廊下は血で汚れ、何が有ったのかは知らないが壁はそこらじゅう傷だらけになっていた。小太郎さえ入った事が無い、コレクションルームの扉に、久秀がぐったりと背を預けて目を閉じているのが見えて、小太郎は慌てて駆け寄った。
腹や腕、足から出血していて、小太郎は青褪めた。もしかして、と最悪の事態を考えながら、そっと久秀の肩に触れる。
と。
「……う……」
久秀は僅かに呻き声を上げて、目を覚ました。その事に一瞬安堵したが、小太郎は震えが止まらなかった。
「……や、あ、こたろう、君。おどろいたかね?」
久秀は小太郎の顔を見ると、にっこり笑んだ。だがその声は苦しげで、まだ安心してはいけないのだと小太郎に悟らせる。
「いや、心配ないよ。私はね、死ぬときは、猫のように、象のように、そう、死体を、見られないように 死にたいと思っているんだ、だから、死にはしないよ、だってそうだろう、私はまだここに居るんだから、死ぬわけがない、ああそうだとも、私は死なない、まったくあの酔っ払いの言う事は確かだ、奴は私に女以外にも強運をくれたのだろうな……」
久秀はそうぶつぶつと呟いているが、小太郎にはその殆どが理解出来ない。だから尚更、小太郎は恐ろしくなった。松永さんは訳が判らない事を言い出すほど、危ない状態なのだ……と。
そう考えると悲しいわけではないのに涙が出てきた。ショックを鎮めようとする生体の反応だと小太郎も判っているのに、どうにも情けなくて、何かしようと思うのに、足に力が入らなくなっている自分が腹立たしくて、小太郎はただ久秀の手をぎゅっと握った。すると久秀も小太郎が泣いている事に気付いたらしい、「ああ」と悲しげに呟くと、小太郎の頬を撫でる。
「ああ何を泣いているんだね、泣かないでくれ、もし卿が泣いてしまうなら、私は卿より先に死ねないではないか。私はもう現世に興味などなかったのに、ああ小太郎君、好きにおし。したいようにしなさい。卿の出来る事をしなさい。それが卿を助けるだろう。大丈夫、卿には卿の言葉が有る。私はここに居るよ、ここで私はつなぎとめておくから、だから、どうか泣かないでおくれ……」
大丈夫、私は死んだりしない、卿をもう泣かせないと決めたのだが、いや私はここまできても卿を泣かせてばかりだな、せめて卿に嫌われないように勝手に死なない事を約束するから、だから卿は卿の満足のいくだろう事をするといい、卿は時には欲望に素直になるべきだ、そうだろう、ああ、そう、ああ、ババア、ババアの名前が思い出せない、ああ、……あぁ、……わたしはね、こたろうくん、命をかけてまもるような、そういうものを、……ああ私はあの外道以下だ、外道、そう、そうだ、そう、ああ痛い、めんどうだ、どうしてわたしは、ああそうだけいの、けいの、けいを、けいはどうしてここに、けいとはだれで、だれ、だれが、ああ、……。
久秀がそう呟き、やがて静かになる頃には、小太郎は足の力を取り戻していて、小太郎は一度久秀をぎゅっと抱きしめると、階段を駆け下りて、そして久秀の家を飛び出した。
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次で終わるか、次と後日談ぐらいで終わらせます。
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プロフィール
Google Earthで秘密基地を探しています
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性別:
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妄想と堕落
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浦崎谺叉琉と美流=イワフジがてんやわんや。
二人とも変態。永遠の中二病。
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