有りました。昨日の晩から。
とりあえず、
借方と貸方の金額がいくら計算しても合わない悪夢を見ました。
夢に見るには早すぎるだろう。
以下、緋扇7
とりあえず、
借方と貸方の金額がいくら計算しても合わない悪夢を見ました。
夢に見るには早すぎるだろう。
以下、緋扇7
その時、彼らは互いに小さく無力だった。
「公、……公……」
安土城の天守閣だった場所に。その残骸は有った。愛した主の姿は無かったが、代わりに彼が好んで身に着けた鎧兜や銃を見つけた。裂かれた赤い外套が、くすんだ血の跡が、全てを語っていた。光秀はただただ絶望した。
公が死んだなら、帰蝶も、あの蘭丸も後を追ったはず。ならば、……それをしたのが私でないのなら、他に誰が。
答えはすぐに出た。浅井が滅んだ時、織田家に戻った信長の妹、市だ。彼女は光秀と同じく闇に属する人間で、さらには彼女の光たる長政を失って不安定な状態になっていた。しかも彼女の力は魔王の妹に相応しいもので、もし箍が外れたならばどうなるか判らないと密かに恐れられていたのだ。
それが、自分の居ない間に現実になってしまったのだ。光秀は深く後悔すると共に、深い憎しみを感じて立ち上がった。公の仇を討たなければ。それだけを考えて、光秀は城を出る。
すぐ側の木に馬が括られていたが、元就の姿は無かった。光秀は僅かに眉を寄せて、「毛利殿」と声を上げた。返事は無い。
何か嫌な予感がした。光秀は再び駆け出し、名を呼んだ。もうりどの、もうりどの……声に返事は返らなかった。しばらく探すと、元就は見つかった。考え得る限り、最悪の形で。
「毛利殿!」
地面に倒れた彼の体は何者かに切り裂かれていた。駆け寄り抱き起こすと、彼の手や首が力無く垂れた。死、という言葉が頭を過ぎって、光秀はすぐに元就の首に手を当てる。脈は有ったが、酷く身体が冷たかった。すぐに衣服を開き、傷口を確認して、光秀は眉を寄せた。
傷自体は思ったよりも浅い物で、命に別状は無いだろう。だがその傷口から黒が滲み、元就の体を蝕み始めていた。光秀はそれが何なのか知っていた。だからこそ、彼は元就をきつく抱きしめて、耳元で言葉を紡ぐ。
「毛利殿、気を確かに。それは貴方自身の闇、貴方自身の影。本来光である貴方がそんなものに侵されるはずがない……毛利殿、……毛利殿!」
けれど声が元就に届いている様子は無かった。元就はぐったりとしており、その体の黒は少しづつ広がっているように見えた。このままでは他の者達と同じように死んでしまう……光秀はそれが判っていたから、すぐに行動を起こした。
元就を抱き上げ、馬の所まで戻ると、迷う事無く東に駆けた。こうなる事を織田家も予想していなかったわけではない。お市が兄に歯向かう可能性は考えていた。だから彼女には殆どの情報を与えなかった。だから彼女は知らないはずだ、と。
光秀は東に馬を走らせ、やがて辿り着いた山を登り、そしてその奥にひっそりと有る屋敷へと入って行った。馬から下り、元就を抱いたまま屋敷の中を歩いていると、ひゅ、と影が下りて来た。忍のようだったが、得物を構えてはいない。光秀は彼に「松永殿に会いに来ました」とそれだけ告げて、屋敷の中を進んで行った。忍びはその後を追って来たが、攻撃はしてこなかった。
屋敷の奥の部屋に辿り着く。部屋の中で、一人の男が茶碗を眺めていた。彼は光秀に気付くと「おや」と小さく声を出したが、すぐに視線を茶碗へと戻した。そんな彼の側に近寄りながら、光秀は言う。
「手を貸して下さい」
「まさか卿がそのような事を言う日が来るとはね。私の事は嫌いだっただろう」
「それどころではないのです」
「否定しない所が実に卿らしいな。愉快、愉快……」
彼は薄く笑って、そして改めて光秀と、その腕に抱かれている元就を見た。僅かに目を細めて、それからまた茶碗に視線を戻す。
「……面白い物を拾ったようだ。なりそこないかね」
「毛利殿をそのように呼ぶのは止めて下さい」
「毛利殿。……そうか、それは毛利の……なるほど、あの血筋は光の色が強い。問題はあの家系にその自覚が無いところだがね。哀れな事だ。光でありながら自らの作り出す闇に食われるとはね」
光秀は元就をそっと床に横たえると、男――松永久秀――の側に座る。
「毛利殿を助けたいのです。貴方はそのやり方を知っているでしょう」
「知っているとして、私がそれを卿に教えると思うかね。なんの見返りも無い。私はそのなりそこないがどうなろうと知った事ではない」
「ならば何をお望みですか」
「……卿が、……求めるだけのものを、私にくれるかね?」
光秀は眉を寄せた。久秀は小さく笑って、光秀を見る。
「卿は、私が嫌いだね。私を嫌う人間の事を、私は好きだよ。踏みつけた時の表情がたまらなく好きだ」
「……それで、毛利殿を、助けられますか」
「方法は教えられるが、成功するとは限らない。彼はあくまで自らの闇に呑まれているのだからね。……どうする。……跪くならそうしたまえ、……部屋ぐらいは移動してあげよう」
久秀はそう言って元就を見た。光秀もそれを追う。元就はぐったりしたままで、しかしその呼吸は次第に苦しげに変わってきている。光秀は一度元就の頬を撫でて、それから久秀に深く頭を垂れた。
その時、彼らは互いに小さく無力だった。
片方は、貴方と戦いたくないと静かに言った。片方はただ頷いた。
片方は、戦いは嫌だと悲しげに言った。片方はただ頷いた。
片方は、でも家族を失いたくないと辛そうに言った。片方はただ頷いた。
そして片方は逃げ出した。もう片方は、血みどろの刀を握って戦った。
山道を、一人の少年が歩いている。緑の着物に身を包んだ、小さな小さな少年だ。彼はしかしその年頃の少年らしく、より危険な刺激を求めていた。
彼は山道をふらふらと歩き、あっちを見たりこっちを見たりと忙しい。それを、青年が追っている。少年という時代は過ぎたが、まだ大人というには若い年頃だった。黒い着物を纏った彼は少年を追っていたが、刺激を求めてうろうろする彼は、その存在に気付かなかった。
光だ、と青年は思った。少年の身のうちから、光が溢れ出るのが見える。それは彼の親や兄弟もそうなのだが、彼らはその自らから出る光に気付かず、求めて群がる蛾に侵され、黒くくすみ始めていた。だが少年のそれは眩いほどで、青年は思わず目を細めずにはいられなかった。
少年は一本の木に興味を持ったようだった。ちょうど手を伸ばせば届くほどの位置に、細枝が生えている。少年はそれに捕まり、ぶら下がろうとしていた。それは危険だと感じた青年は、止めるべきかと思ったが、彼は自分より位が高いその少年に声をかけていいものか、わからなかった。そうこうするうちに少年は枝を掴み、地面から足を離して。
そして次の瞬間には尻から地面に落ちて、しかも木の幹に頭を打ち付け転がってしまった。少年は折れた枝をぽいと放り投げると、頭を押さえて蹲った。けれど、泣き声が聞こえない。耐えているのだ、と青年は思った。かなり痛かっただろう、だから泣かせたほうがいい。青年はすぐに少年に駆け寄った。
頭を押さえたままの少年も、近付いてきた青年に気付いて顔を上げる。血は出ていなかったが、涙が浮かんでいるのが見えた。今にも零れ落ちそうなのを、必死に我慢しているのだ。だから青年は精一杯の笑みを浮かべて、「えらいですね」と声をかけ、少年を撫でてやった。途端に彼は耐え切れなくなって、うぇえ、と声を上げて泣き出したので、青年は彼を抱きしめて、背中を擦ってやった。
少年は長い間泣いていたので、青年は彼を抱き上げて木陰に移動すると、泣き止むまで付き合い、時折顔を布で拭いてやった。やがて少年は顔を真っ赤にしたまま、泣く事を止めて、青年に「父上や兄上には秘密ぞ」と言った。そんな顔で秘密もあるか、と青年はくすりと笑って、そして「約束します」と答えた。少年は安心したように笑って、青年を見た。
二人はしばらくそうして木陰に座って話をした。少年は西の小国の者で、武家の次男という事だった。名を松寿丸といい、今日は父や兄に連れられて都に来たのだが、あまりに暇なので山で遊んでいたのだ、と。青年はその殆どの事情を知っていた。その抜け出した子供を見守るのが、彼の役目だったから。とある武家の従者に過ぎない青年は、「松寿丸様」と少年を呼んだが、彼は「年上から様と呼ばれるのは嫌だ」と言うので、仕方なく彼の名字を取って「毛利殿」と呼ぶ事にした。
「父上は、どこかと戦をしておるのだ」
ふと松寿丸は表情を曇らせて呟いた。青年も笑むのは止めて、静かに尋ねる。
「戦を?」
「うむ。毛利は、小さな国だから。生きていくには、戦をせねばならぬと、父上が言っておった」
松寿丸はそう言って、それから青年を見る。
「戦を続けたら、そなたとも戦う事になるのか?」
「かも、しれませんね」
「そんなのは嫌だ。我は、戦などしとうない」
「私も、そう思います」
「だが、……だがあのお優しい父上が、戦をなさるのだから。きっと皆を守るためには、戦をせねばならぬのだ。人を切らねばならぬのだ。そんなのは、嫌なのに、それでも、我はいつか、戦わなくてはならぬのか?」
「……」
青年はしばらく考えて、そして微笑んで言った。
「敵が居なくなれば、戦う必要は有りませんよ」
「そうなのか」
「ええ。だから、戦う前に、敵を消してしまえばいいのです。そうすれば、戦う必要は無いでしょう?」
「消す……」
「敵を味方にしたり、敵同士で戦わせたり、あるいは敵をこちら側から事前に殺したり。方法はいろいろ有ります」
「……だが、殺さねばならぬのだな……そなたは、嫌ではないのか?」
「嫌ですよ。でも残念ながら私は、既に経験しているのでね」
その言葉に松寿丸ははっとしたように光秀の手を見て、そしてそれから「すまぬ」と詫びた。
「何も知らぬのに、つまらぬ事を言うた」
「いいえ、つまらない事ではありません。理想は理想に過ぎませんが、それでも求めない事には、物事は良くなっていきませんから。戦はしたくない、それでいいのです。それを人それぞれのやり方で叶えるのが、乱世というものですよ、毛利殿」
「……そなたは優しいな。名は何と言う? 国に帰っても忘れぬ」
「私は一介の従者、名乗るような名は持ち合わせておりません」
「だが……」
不服そうな松寿丸の頭を撫でて、青年は言った。
「では、私の事は、貴方の影と覚えて下されば、それがいいです」
「我の、影?」
「ええ、貴方はとても眩い光。光が有れば影が出来るもの、それが私だと思っていただければ光栄です。光と闇は常に対となるもの。……もし、貴方が……」
青年はそこで一度言葉を区切り、少し考えてから、言う。
「もし、貴方が。大人になって……その時にまだ、貴方がその光に相応しい場所に辿り着けず、そして貴方が対となる闇を見つけていなかったなら。私は、……貴方の望みを叶えに参ります。戦の無い平穏な世界、貴方の手が血塗れぬ国、貴方が私と刃を交えぬように……そのために、私はいくらでも刀を振るいましょう。……もし私が、血塗れた刀を持っていたとしても、貴方は私と今のように話してくれますか?」
「……我で良いなら」
松寿丸も微笑んで頷いた。それに対して青年はただ、
「貴方でなくてはいけないのです」
と付け足して、そして手を差し伸べた。既に血に汚れた青年の手を、松寿丸は迷う事無く握った。
遠い昔の話である。
+++
松明なんだけど需要無いから該当シーンはカットで。
「公、……公……」
安土城の天守閣だった場所に。その残骸は有った。愛した主の姿は無かったが、代わりに彼が好んで身に着けた鎧兜や銃を見つけた。裂かれた赤い外套が、くすんだ血の跡が、全てを語っていた。光秀はただただ絶望した。
公が死んだなら、帰蝶も、あの蘭丸も後を追ったはず。ならば、……それをしたのが私でないのなら、他に誰が。
答えはすぐに出た。浅井が滅んだ時、織田家に戻った信長の妹、市だ。彼女は光秀と同じく闇に属する人間で、さらには彼女の光たる長政を失って不安定な状態になっていた。しかも彼女の力は魔王の妹に相応しいもので、もし箍が外れたならばどうなるか判らないと密かに恐れられていたのだ。
それが、自分の居ない間に現実になってしまったのだ。光秀は深く後悔すると共に、深い憎しみを感じて立ち上がった。公の仇を討たなければ。それだけを考えて、光秀は城を出る。
すぐ側の木に馬が括られていたが、元就の姿は無かった。光秀は僅かに眉を寄せて、「毛利殿」と声を上げた。返事は無い。
何か嫌な予感がした。光秀は再び駆け出し、名を呼んだ。もうりどの、もうりどの……声に返事は返らなかった。しばらく探すと、元就は見つかった。考え得る限り、最悪の形で。
「毛利殿!」
地面に倒れた彼の体は何者かに切り裂かれていた。駆け寄り抱き起こすと、彼の手や首が力無く垂れた。死、という言葉が頭を過ぎって、光秀はすぐに元就の首に手を当てる。脈は有ったが、酷く身体が冷たかった。すぐに衣服を開き、傷口を確認して、光秀は眉を寄せた。
傷自体は思ったよりも浅い物で、命に別状は無いだろう。だがその傷口から黒が滲み、元就の体を蝕み始めていた。光秀はそれが何なのか知っていた。だからこそ、彼は元就をきつく抱きしめて、耳元で言葉を紡ぐ。
「毛利殿、気を確かに。それは貴方自身の闇、貴方自身の影。本来光である貴方がそんなものに侵されるはずがない……毛利殿、……毛利殿!」
けれど声が元就に届いている様子は無かった。元就はぐったりとしており、その体の黒は少しづつ広がっているように見えた。このままでは他の者達と同じように死んでしまう……光秀はそれが判っていたから、すぐに行動を起こした。
元就を抱き上げ、馬の所まで戻ると、迷う事無く東に駆けた。こうなる事を織田家も予想していなかったわけではない。お市が兄に歯向かう可能性は考えていた。だから彼女には殆どの情報を与えなかった。だから彼女は知らないはずだ、と。
光秀は東に馬を走らせ、やがて辿り着いた山を登り、そしてその奥にひっそりと有る屋敷へと入って行った。馬から下り、元就を抱いたまま屋敷の中を歩いていると、ひゅ、と影が下りて来た。忍のようだったが、得物を構えてはいない。光秀は彼に「松永殿に会いに来ました」とそれだけ告げて、屋敷の中を進んで行った。忍びはその後を追って来たが、攻撃はしてこなかった。
屋敷の奥の部屋に辿り着く。部屋の中で、一人の男が茶碗を眺めていた。彼は光秀に気付くと「おや」と小さく声を出したが、すぐに視線を茶碗へと戻した。そんな彼の側に近寄りながら、光秀は言う。
「手を貸して下さい」
「まさか卿がそのような事を言う日が来るとはね。私の事は嫌いだっただろう」
「それどころではないのです」
「否定しない所が実に卿らしいな。愉快、愉快……」
彼は薄く笑って、そして改めて光秀と、その腕に抱かれている元就を見た。僅かに目を細めて、それからまた茶碗に視線を戻す。
「……面白い物を拾ったようだ。なりそこないかね」
「毛利殿をそのように呼ぶのは止めて下さい」
「毛利殿。……そうか、それは毛利の……なるほど、あの血筋は光の色が強い。問題はあの家系にその自覚が無いところだがね。哀れな事だ。光でありながら自らの作り出す闇に食われるとはね」
光秀は元就をそっと床に横たえると、男――松永久秀――の側に座る。
「毛利殿を助けたいのです。貴方はそのやり方を知っているでしょう」
「知っているとして、私がそれを卿に教えると思うかね。なんの見返りも無い。私はそのなりそこないがどうなろうと知った事ではない」
「ならば何をお望みですか」
「……卿が、……求めるだけのものを、私にくれるかね?」
光秀は眉を寄せた。久秀は小さく笑って、光秀を見る。
「卿は、私が嫌いだね。私を嫌う人間の事を、私は好きだよ。踏みつけた時の表情がたまらなく好きだ」
「……それで、毛利殿を、助けられますか」
「方法は教えられるが、成功するとは限らない。彼はあくまで自らの闇に呑まれているのだからね。……どうする。……跪くならそうしたまえ、……部屋ぐらいは移動してあげよう」
久秀はそう言って元就を見た。光秀もそれを追う。元就はぐったりしたままで、しかしその呼吸は次第に苦しげに変わってきている。光秀は一度元就の頬を撫でて、それから久秀に深く頭を垂れた。
その時、彼らは互いに小さく無力だった。
片方は、貴方と戦いたくないと静かに言った。片方はただ頷いた。
片方は、戦いは嫌だと悲しげに言った。片方はただ頷いた。
片方は、でも家族を失いたくないと辛そうに言った。片方はただ頷いた。
そして片方は逃げ出した。もう片方は、血みどろの刀を握って戦った。
山道を、一人の少年が歩いている。緑の着物に身を包んだ、小さな小さな少年だ。彼はしかしその年頃の少年らしく、より危険な刺激を求めていた。
彼は山道をふらふらと歩き、あっちを見たりこっちを見たりと忙しい。それを、青年が追っている。少年という時代は過ぎたが、まだ大人というには若い年頃だった。黒い着物を纏った彼は少年を追っていたが、刺激を求めてうろうろする彼は、その存在に気付かなかった。
光だ、と青年は思った。少年の身のうちから、光が溢れ出るのが見える。それは彼の親や兄弟もそうなのだが、彼らはその自らから出る光に気付かず、求めて群がる蛾に侵され、黒くくすみ始めていた。だが少年のそれは眩いほどで、青年は思わず目を細めずにはいられなかった。
少年は一本の木に興味を持ったようだった。ちょうど手を伸ばせば届くほどの位置に、細枝が生えている。少年はそれに捕まり、ぶら下がろうとしていた。それは危険だと感じた青年は、止めるべきかと思ったが、彼は自分より位が高いその少年に声をかけていいものか、わからなかった。そうこうするうちに少年は枝を掴み、地面から足を離して。
そして次の瞬間には尻から地面に落ちて、しかも木の幹に頭を打ち付け転がってしまった。少年は折れた枝をぽいと放り投げると、頭を押さえて蹲った。けれど、泣き声が聞こえない。耐えているのだ、と青年は思った。かなり痛かっただろう、だから泣かせたほうがいい。青年はすぐに少年に駆け寄った。
頭を押さえたままの少年も、近付いてきた青年に気付いて顔を上げる。血は出ていなかったが、涙が浮かんでいるのが見えた。今にも零れ落ちそうなのを、必死に我慢しているのだ。だから青年は精一杯の笑みを浮かべて、「えらいですね」と声をかけ、少年を撫でてやった。途端に彼は耐え切れなくなって、うぇえ、と声を上げて泣き出したので、青年は彼を抱きしめて、背中を擦ってやった。
少年は長い間泣いていたので、青年は彼を抱き上げて木陰に移動すると、泣き止むまで付き合い、時折顔を布で拭いてやった。やがて少年は顔を真っ赤にしたまま、泣く事を止めて、青年に「父上や兄上には秘密ぞ」と言った。そんな顔で秘密もあるか、と青年はくすりと笑って、そして「約束します」と答えた。少年は安心したように笑って、青年を見た。
二人はしばらくそうして木陰に座って話をした。少年は西の小国の者で、武家の次男という事だった。名を松寿丸といい、今日は父や兄に連れられて都に来たのだが、あまりに暇なので山で遊んでいたのだ、と。青年はその殆どの事情を知っていた。その抜け出した子供を見守るのが、彼の役目だったから。とある武家の従者に過ぎない青年は、「松寿丸様」と少年を呼んだが、彼は「年上から様と呼ばれるのは嫌だ」と言うので、仕方なく彼の名字を取って「毛利殿」と呼ぶ事にした。
「父上は、どこかと戦をしておるのだ」
ふと松寿丸は表情を曇らせて呟いた。青年も笑むのは止めて、静かに尋ねる。
「戦を?」
「うむ。毛利は、小さな国だから。生きていくには、戦をせねばならぬと、父上が言っておった」
松寿丸はそう言って、それから青年を見る。
「戦を続けたら、そなたとも戦う事になるのか?」
「かも、しれませんね」
「そんなのは嫌だ。我は、戦などしとうない」
「私も、そう思います」
「だが、……だがあのお優しい父上が、戦をなさるのだから。きっと皆を守るためには、戦をせねばならぬのだ。人を切らねばならぬのだ。そんなのは、嫌なのに、それでも、我はいつか、戦わなくてはならぬのか?」
「……」
青年はしばらく考えて、そして微笑んで言った。
「敵が居なくなれば、戦う必要は有りませんよ」
「そうなのか」
「ええ。だから、戦う前に、敵を消してしまえばいいのです。そうすれば、戦う必要は無いでしょう?」
「消す……」
「敵を味方にしたり、敵同士で戦わせたり、あるいは敵をこちら側から事前に殺したり。方法はいろいろ有ります」
「……だが、殺さねばならぬのだな……そなたは、嫌ではないのか?」
「嫌ですよ。でも残念ながら私は、既に経験しているのでね」
その言葉に松寿丸ははっとしたように光秀の手を見て、そしてそれから「すまぬ」と詫びた。
「何も知らぬのに、つまらぬ事を言うた」
「いいえ、つまらない事ではありません。理想は理想に過ぎませんが、それでも求めない事には、物事は良くなっていきませんから。戦はしたくない、それでいいのです。それを人それぞれのやり方で叶えるのが、乱世というものですよ、毛利殿」
「……そなたは優しいな。名は何と言う? 国に帰っても忘れぬ」
「私は一介の従者、名乗るような名は持ち合わせておりません」
「だが……」
不服そうな松寿丸の頭を撫でて、青年は言った。
「では、私の事は、貴方の影と覚えて下されば、それがいいです」
「我の、影?」
「ええ、貴方はとても眩い光。光が有れば影が出来るもの、それが私だと思っていただければ光栄です。光と闇は常に対となるもの。……もし、貴方が……」
青年はそこで一度言葉を区切り、少し考えてから、言う。
「もし、貴方が。大人になって……その時にまだ、貴方がその光に相応しい場所に辿り着けず、そして貴方が対となる闇を見つけていなかったなら。私は、……貴方の望みを叶えに参ります。戦の無い平穏な世界、貴方の手が血塗れぬ国、貴方が私と刃を交えぬように……そのために、私はいくらでも刀を振るいましょう。……もし私が、血塗れた刀を持っていたとしても、貴方は私と今のように話してくれますか?」
「……我で良いなら」
松寿丸も微笑んで頷いた。それに対して青年はただ、
「貴方でなくてはいけないのです」
と付け足して、そして手を差し伸べた。既に血に汚れた青年の手を、松寿丸は迷う事無く握った。
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