更新していないので、以前言っていた殺人事件もの
推理物目指して さぁ犯人は誰でしょう!
ぐらいの事を言ってみたかったですが
そんな技量無かったです
推理物目指して さぁ犯人は誰でしょう!
ぐらいの事を言ってみたかったですが
そんな技量無かったです
これで、良かったのだ。
毛利元就はただ立ち尽くしたまま、床を見下ろしている。
これで、良かったのだ。
薄暗い廊下。濡れた廊下。赤黒い水溜まり。転がる人影。穴だらけの、兄。
これで、良かったのだ。
元就の頬には青あざ、腕には包帯、そしてその右手には、血が滴るナイフ。
我は、これで自由になれる。我は、これで救われる。我は、これで生きられる。
これで、これで、良かったのだ。
……本当に?
元就には、答えが出せない。出せないまま、元就はただ、同じ姿で、ただ、穴だらけの兄を見つめていた。
長曾我部元親は、その日はとてつもなく嫌な気持ちで家を出た。
元親は子供というのがあまり好きではないが、もっと好きではないのが、そんな子供を作りだした親だ。家族だ。近頃の親というのは、とかく自分の責任を棚に上げて、子に降りかかる全てを、テレビでしか見た事の無い政治家や、マニフェスト、ましてや法律さえ知らないにも関わらず国のせいにする。ゆとり教育だなんだと子供だけが問題視されがちだが、所詮は親の責任が大きいのは変わらない。変わらないのに、安易に共働きを推奨する。家事子育てが大変だから、夫も手伝えという。最近の未成年凶悪犯罪者には、父親が熱心に教育を行った者も少なくないという。断言する事は危険だが、しかし現在の風潮そのものが間違っている可能性は大いに有る。
昨日、元親はとある万引き少年の指導を行っていた。ところがどうだ、連絡を受けてきた親は、「万引きぐらいがなんだ」と開き直る。くだらない事で息子に前科を作る気かと言い張る。
馬鹿らしい。
元親はその息子に対し、ある種の同情を抱いていた。少年には罪の意識が有ったのだ。確かに有った。しかし、肝心の親にその欠片も無い。親が法を順守しないで、どうして子供が守るというのだ。ではなんですか、おたくは誰かに息子さんを殺されたとしても、それがどうしたと言えるんですね。よほど言ってやりたかった。言わなかった。ただ事務的に説明し、事務的に処理を行った。結局最後まで不服そうだった親と違い、少年は別れる間際、「本当に申し訳有りませんでした」と頭を下げた。子のほうがよほどマトモだ。元親は笑顔を浮かべて、「もう二度とするんじゃねぇぞ」とそれだけ返した。するかもしれない。しないかもしれない。だが可能性は無くなるものでもない。信じても仕方がないが、疑っても仕方がない。時間だけが、答えを教えてくれるのだ。
署に行くと、人手不足だから管轄に入れと主語の無い命令を受けた。数日前に起こった殺人事件の捜査だ。被害者は毛利興元。26歳、男性。父、母、共に死去。数日前までは、実弟の毛利元就と二人で暮らしていた。
興元の死因は出血死だ。全身を20カ所以上に渡って刺されている。執拗な犯行から、恨みを持つ者の犯行だろうとは予測されている。そして、第一発見者である元就には、動機が有る。
元就は興元から、幾度も暴力を振るわれていたと、複数の証言を得られたのだ。
事件が起きて数日が経過している。元親はふらりと毛利家を訪れた。元就は捜査協力はしたが、任意同行は拒否した。賢い、と元親は思う。話によれば、法学部に入っているそうだ。警察のやり口も多少は理解しているのだろう。同行すれば密室に追いやられる。何はともあれ疑わしきを追及する警察に絞られるのは目に見えている。凶器のナイフには元就の指紋だけが残っていた。だから初動捜査では、まず元就を疑った。元就もそれが判っていたのだろう。彼は冷静に、ひどく落ち着いて、まるでコンピューターか何かのように、一字一句違わない証言だけを繰り返した。少しでも言葉尻が変化すれば、疑われると思っているようだった。
その後、そのナイフが限定品であるという事が判った。そして元就がそれを手に入れた証拠が見つからなかった。さらには僅かながら、血痕の着いた足跡が発見され、その靴は元就のそれよりはるかに大きく、こちらもまた限定品と予測されている。元就への疑いはひとまず薄まった。が、決定的なものでもなかった。
毛利宅は古い住宅街の端に有る。家の東側は土手になっていて、登れば川が有り、橋が有り、側には駅もバス停も、スーパーやコンビニも有る。だが毛利家周辺は静かだった。古い家ばかりのため、空き家も何軒か有るそうだ。
低い塀、小さな庭。古い家。ドラマかなにかのセットに使えそうだな、と元親は思う。さびれた感じが風流というか、なんというか。とにかく、住みたいとは思わなかった。
庭の裏には勝手口が有るらしい。そのあたりから僅かに血痕と足跡が見つかっている。まだ鑑定待ちだが、血はおそらく犯人のものだろう。元就のそれと一致すれば決定的だが、今はまだ判らない。
ピンポン、とチャイムを鳴らす。しばらく待つ。答えは無い。ふと振り返ると、近所の人間だろうか。中年の女性が3人でこちらを見ながらヒソヒソと話し、にやついている。なるほど、子の規範となるようなのは親以外にも居ないな、と元親は思いながら、もう一度チャイムを押す。
やがてドアホンから「どなたですか」という静かな声。「警察の者ですが、少しお話を伺えますか」とこちらも静かに答えれば、すぐに玄関が開いた。
元就は今年で20になる青年だが、その背は少々小さい。男としては貧弱な部類に見える。はたしてこれがあの兄ともみ合いになって、無傷で勝てるような男だろうか、と元親は思った。まぁ、実弟とあれば油断もしているだろうが、大の男が揉み合って、殺人犯が無傷というのも考えにくい。元就は事件当時から傷だらけでは有ったが、全て打撲などで、しかも負傷から時間が経過しており、出血を伴う怪我などはしていなかった。ただし、だからといって疑いが晴れるわけでもない。
元就は元親を見ると、不思議そうな顔をした。それはそうだろう。元親はTシャツにジーンズという姿で、他に相方も連れていなかった。
「あー、確かに警察のモンなんだけどよ。今日はオフなんだ。だから厳密に言うと警官じゃねぇかな」
「……何の用で?」
「個人的に、あんたと話がしてみたくて。……警察のえげつない取り調べで参ってるだろうし、……あー、もちろん俺もその警察ってわけで、嫌なら追い出していいんだぜ。何しろ今日は、ただの一般人だしな」
「……」
元就はしばらく考えて、「どうぞ」と元親を中に案内した。
廊下にはまだ染みが残っている。もうここには住めないだろうな、と元親は思った。が、そう簡単に引っ越しはできないだろう。そもそも、これから生活出来るのかも怪しい。元就は天涯孤独の身となってしまった。20歳で身寄りもなく、大学生なわけで収入も無い。唯一の親族である兄を殺されて、今は不安と絶望のただなかにあるはずだ。しかし元就には参っているような様子が見られない。それもまた、疑われている原因である。
「……コーヒーか、なにか……」
「ああ、すまねぇなあ。……あ、俺も土産を持ってきたんだ、茶菓子なんだけどよ。一緒に食べようと思って」
「……」
「……あ、最初に言っておくけど、違うからな」
「……?」
元就が首を傾げる。元親は「いやな」と続ける。
「今まであんたにこう、自白を迫るような、結構強い取り調べが続いてたと思うんだよ。だから飴と鞭って奴で、俺が優しくしてあんたから自白を得ようとか、そんな気持ちで来てるってわけじゃないんだ。心配しなくていいからよ。俺は長曾我部元親っていう。あんたよりは年上だが、この際どうでもいい事だ、あんたもタメ口で遠慮なく接してくれればいい」
「……」
元就は特に返事をしないまま、キッチンに向かう。
元親の説明は、厳密に言えば嘘だ。元親は今日、オフなどではない。相方も来ている。が、近くで待機しているだけだ。家も見えないところから2、3人の警官が見張っている。犯人が戻ってくるかもしれないし、あるいは犯人である元就が逃亡を図るかもしれない。元就は油断をしていい状況ではない。ただし、元親の気持ち自体は嘘ではない。元就は疑われているが、しかし単なる犯罪被害者である可能性も高い。殺したかもしれないし、殺していないかもしれない。可能性は無くならない。だから、無暗に攻撃しても仕方がないのだ。尻尾を出すなら、とっくに出しているだろうから。
元就はコーヒーと茶菓子を用意して戻ってきた。一緒にテーブルを挟み、座る。
「……毛利元就、だ」
「うん、知ってるよ。……悪いんだが、とりあえずあんたの話が聞きたい。お兄さんとの事と、当日の事……話してもらえるかな。……ああもちろん、嫌ならいいんだ」
「……他の警官に話した事と同じだが……」
「構わねえよ、俺はあんたの口から聞きたい」
「……」
元就は一つため息を吐いて、ぽつぽつと語り始めた。
「母は、早くに病死してしまって。父と3人で暮らしていた。そのうち父も死んでしまって、兄と二人で生きていた。幸い父の貯金が残っていたので、生活には苦労しなかったが、……それも最初のうちで。兄の就職はうまくいかず、次第に困窮してきていた。それで……ストレスがたまったのだろうな」
「お兄さんが、暴力を振るい始めたのは、それから?」
「うむ」
元就はうなづきながら、自分の腕を見ている。包帯が巻かれていた。よく見ると服から青あざがいくつものぞいている。見える範囲でこれなら、見えない場所はそうとうだろうな、と元親は気の毒に思った。
「毎夜、酒を飲んでは、何か喚いて、我を打った。首を絞められたり、……蹴られたり………………」
元就はそこで言い淀んで、それ以上続けなかった。そこに続く言葉を元親は知っている。元就が受けた暴力は、傷害だけではない。だが元親はあえて追及しなかった。個人の尊厳にかかわる事だから。
「……警察の言う通り、我には動機が有る。……正直言って、確かに兄の事は憎んでいた。居なくなればいいと。死ねばいいと。……殺してやりたいと思った事も、無いとは言わぬ。だが、実行するかどうかは別問題だ。我は、ついに実行しなかった。なにもかも実行できないまま、兄は死んでしまったのだ。……本当だ」
「ああ、判ってる。……その日の事を、話してもらえるかな」
「……大学に行くため、毎朝9時15分の電車に乗っておる。その日の朝も、9時までには家を出たはずだ。正確には覚えておらぬ。兄は、リビングでテレビを見ておった。我は、……体が痛くて、目がなかなか覚めなかった。遅刻しそうだったから、急いで家を出た。だから、あまり状況は覚えて居らぬが、気になる事が無いという事は、おそらく特別な変化はなかったのだろうと思う」
「お兄さんは、何か言ってた?」
「いつ帰る、とテレビを見ながら聞いたので、6時には、と答えた。それだけだ。それが兄と最後の会話だ。惨めなものだ。我が6時に帰るまで、兄は誰にも気づかれず、血を流して転がっていたのだから」
「通報が入ったのは8時だったが? それに、ナイフにあんたの指紋が有ったのは?」
「帰宅して、電気が着いていないのに気づいて、少々不審に思ったが、家に入った。電気を着けると、兄が倒れているのを見つけた。その時はまだ目が慣れていなくて、それに気が動転していたのか、死んでいると、殺されているとは気づかなかった。駆け寄って、体に触れたら、何かが生えていて。思わず引き抜いたら、ナイフで、……それからの事はよく覚えていない。気づくとずいぶん時間が経過していて、慌てて警察に連絡をした。……それだけ、だ」
それだけ、ね。
調書にもそう書いてあった。通報時間が遅れた理由は明確ではない。ただ最後の肉親を殺害され、ショックのあまり立ち尽くしていた。それが元就の供述だ。嘘かもしれない。嘘ではないかもしれない。まだ何もかも判らない。ナイフで20回以上刺された死体を、ただ倒れていると思うのか、血だまりは見えなかったのか、何故ナイフを引き抜いてしまったのか。明確な説明など出来ようはずもない。人は時として自分でもどうしてそうしたのか判らない行動を起こす。それが不自然だと言っても仕方がない。人間はいくらでも不自然な事はする。だから難しい。疑うべきか、疑わざるべきか。
「……すまねぇな、何度も同じ話ばっかりさせちまって。あんたも辛いだろうによ」
「……いや」
「必ず犯人は捕まえる。そして社会的制裁を与える。残念ながらこの国は復讐を認めてはいないから、それで勘弁してもらいたい。……あぁ、そうだ、すっかり忘れてた」
「?」
元親が大げさにアクションを交えて言う。
「まずはお兄さんを拝まなきゃいけないところだったのに。悪いなぁ。線香をあげさせてもらえないかな」
「あ……」
元就は何故か困ったような顔をした。「だめかな」と言うと、「いや」と否定するが、しかしそれ以上の進展も無い。
「……何か、都合の悪い事でも?」
「……あ、いや、……あ……」
元就は言い淀んでいたが、やがてこのまま黙っていても勘繰られるだけだとでも思ったらしい。元親の目を見て、彼が鋭い目をしていないのを確認すると、おずおず切り出した。
「その、……先ほども、言ったとおり、……我は、兄から暴力を、受けていて……」
「うん」
「それで、その……こ、こんな、事を、言っていいのか、判らぬが……」
「……」
「……正直、兄が、死んで、少しだけ、……ほんの少しだけ、安心してしまって。……そ、そんな自分が嫌で、嫌でたまらなくて、その……兄と、面と向かって、会えないままで、……だから、その、……我は、手入れも、ましてや、線香も立てていなくて、……そ、それは、憎いとか、そういう意味ではなくて、ただ、どんな顔をして、どんな事を考えて、兄の死に、向き合えばいいか、判らず、……」
「……つまり、あんたは供養していない、それを疑われるのは怖いと」
「……」
「……判った。仕方無ぇよ、あんただって毎日怖かったんだろう。気持ちの整理が着いてから、向き合えばいいさ。じゃあ、俺は線香をあげてもいいかな? 案内してくれるだけでいいから」
優しく言うと、元就は意外だったのか、呆けたような顔で元親を見た。今までの警官は、口を開けば疑い、怒鳴りつけ、小さな事も取り上げて追及するばかりだったろうから、すぐに納得してくれる元親を不思議に思っているようだ。元就はそれを悪いようにはとらなかったらしい。「どうぞ」と静かに、奥の部屋へ案内してくれた。元就は入らなかった。
少々狭い仏間だ。仏壇の上には、元就の両親だろう写真が飾られている。その側には、ひっそりと花に囲まれた台と、興元の写真。確かに手入れもしていないのだろう、台にはうっすらと埃が積もりつつ有る。ごそごそと辺りを探って、蝋燭と線香に火をつける。
写真の中で興元はひたすら穏やかだ。優しそうな人間だ、と思う。とても家庭内暴力に走るようには見えない。ただ、優しいが故に、色々な物に負ける人間が居る。それはただ優しい人間だ。本当の優しさは、強さと共に得る物だから。恐らく興元は、弱いままに優しかったのだろう。そしてその弱さは元就にぶつけられた。その結果なのか否か、穴だらけになって死んでしまった。
静かに目を閉じて、拝む。あんたを殺した人間は必ず見つけるよ。それだけを心の中で呟いて、元親は仏間を後にする。
元就は客間でぼうっとしていた。他の警官の報告にも上がっているが、元就は日々無気力に、しかし消沈しているという様子でも無く、ただただぼうっとしている事が多いという。それがまた疑われている。人の悲しみ方は人それぞれだ。ましてや、自分に暴力を振るっていた相手ともなれば、元就の心中は複雑だろうし、先ほどの口ぶりからして、肉親の死を心から悼めない己を責めてもいる。そんな複雑な心理が、表に出るはずがない。そして恐らくその悲しいぐらい濁った感情から逃れるためにも、元就はただ、空虚を見つめて、心を無にするのだ。そうして時間が立てば、答えが出る事も時には有る。その時間を与えてやらないと、人は立ち直れない。仮に彼が犯人だったとしても、彼をそこまで追い詰めた何かと、彼は戦っているのだろう。
邪魔したな、また来るよ。
元就に声をかける。元就は特に嫌そうな顔もせず、小さく頭を下げた。嫌われはしなかったらしい。元親は毛利家を後にすると、未だにヒソヒソ話していた中年女性達を軽く睨みつけて、そのまま相棒の所へ向かった。
毛利元就はただ立ち尽くしたまま、床を見下ろしている。
これで、良かったのだ。
薄暗い廊下。濡れた廊下。赤黒い水溜まり。転がる人影。穴だらけの、兄。
これで、良かったのだ。
元就の頬には青あざ、腕には包帯、そしてその右手には、血が滴るナイフ。
我は、これで自由になれる。我は、これで救われる。我は、これで生きられる。
これで、これで、良かったのだ。
……本当に?
元就には、答えが出せない。出せないまま、元就はただ、同じ姿で、ただ、穴だらけの兄を見つめていた。
長曾我部元親は、その日はとてつもなく嫌な気持ちで家を出た。
元親は子供というのがあまり好きではないが、もっと好きではないのが、そんな子供を作りだした親だ。家族だ。近頃の親というのは、とかく自分の責任を棚に上げて、子に降りかかる全てを、テレビでしか見た事の無い政治家や、マニフェスト、ましてや法律さえ知らないにも関わらず国のせいにする。ゆとり教育だなんだと子供だけが問題視されがちだが、所詮は親の責任が大きいのは変わらない。変わらないのに、安易に共働きを推奨する。家事子育てが大変だから、夫も手伝えという。最近の未成年凶悪犯罪者には、父親が熱心に教育を行った者も少なくないという。断言する事は危険だが、しかし現在の風潮そのものが間違っている可能性は大いに有る。
昨日、元親はとある万引き少年の指導を行っていた。ところがどうだ、連絡を受けてきた親は、「万引きぐらいがなんだ」と開き直る。くだらない事で息子に前科を作る気かと言い張る。
馬鹿らしい。
元親はその息子に対し、ある種の同情を抱いていた。少年には罪の意識が有ったのだ。確かに有った。しかし、肝心の親にその欠片も無い。親が法を順守しないで、どうして子供が守るというのだ。ではなんですか、おたくは誰かに息子さんを殺されたとしても、それがどうしたと言えるんですね。よほど言ってやりたかった。言わなかった。ただ事務的に説明し、事務的に処理を行った。結局最後まで不服そうだった親と違い、少年は別れる間際、「本当に申し訳有りませんでした」と頭を下げた。子のほうがよほどマトモだ。元親は笑顔を浮かべて、「もう二度とするんじゃねぇぞ」とそれだけ返した。するかもしれない。しないかもしれない。だが可能性は無くなるものでもない。信じても仕方がないが、疑っても仕方がない。時間だけが、答えを教えてくれるのだ。
署に行くと、人手不足だから管轄に入れと主語の無い命令を受けた。数日前に起こった殺人事件の捜査だ。被害者は毛利興元。26歳、男性。父、母、共に死去。数日前までは、実弟の毛利元就と二人で暮らしていた。
興元の死因は出血死だ。全身を20カ所以上に渡って刺されている。執拗な犯行から、恨みを持つ者の犯行だろうとは予測されている。そして、第一発見者である元就には、動機が有る。
元就は興元から、幾度も暴力を振るわれていたと、複数の証言を得られたのだ。
事件が起きて数日が経過している。元親はふらりと毛利家を訪れた。元就は捜査協力はしたが、任意同行は拒否した。賢い、と元親は思う。話によれば、法学部に入っているそうだ。警察のやり口も多少は理解しているのだろう。同行すれば密室に追いやられる。何はともあれ疑わしきを追及する警察に絞られるのは目に見えている。凶器のナイフには元就の指紋だけが残っていた。だから初動捜査では、まず元就を疑った。元就もそれが判っていたのだろう。彼は冷静に、ひどく落ち着いて、まるでコンピューターか何かのように、一字一句違わない証言だけを繰り返した。少しでも言葉尻が変化すれば、疑われると思っているようだった。
その後、そのナイフが限定品であるという事が判った。そして元就がそれを手に入れた証拠が見つからなかった。さらには僅かながら、血痕の着いた足跡が発見され、その靴は元就のそれよりはるかに大きく、こちらもまた限定品と予測されている。元就への疑いはひとまず薄まった。が、決定的なものでもなかった。
毛利宅は古い住宅街の端に有る。家の東側は土手になっていて、登れば川が有り、橋が有り、側には駅もバス停も、スーパーやコンビニも有る。だが毛利家周辺は静かだった。古い家ばかりのため、空き家も何軒か有るそうだ。
低い塀、小さな庭。古い家。ドラマかなにかのセットに使えそうだな、と元親は思う。さびれた感じが風流というか、なんというか。とにかく、住みたいとは思わなかった。
庭の裏には勝手口が有るらしい。そのあたりから僅かに血痕と足跡が見つかっている。まだ鑑定待ちだが、血はおそらく犯人のものだろう。元就のそれと一致すれば決定的だが、今はまだ判らない。
ピンポン、とチャイムを鳴らす。しばらく待つ。答えは無い。ふと振り返ると、近所の人間だろうか。中年の女性が3人でこちらを見ながらヒソヒソと話し、にやついている。なるほど、子の規範となるようなのは親以外にも居ないな、と元親は思いながら、もう一度チャイムを押す。
やがてドアホンから「どなたですか」という静かな声。「警察の者ですが、少しお話を伺えますか」とこちらも静かに答えれば、すぐに玄関が開いた。
元就は今年で20になる青年だが、その背は少々小さい。男としては貧弱な部類に見える。はたしてこれがあの兄ともみ合いになって、無傷で勝てるような男だろうか、と元親は思った。まぁ、実弟とあれば油断もしているだろうが、大の男が揉み合って、殺人犯が無傷というのも考えにくい。元就は事件当時から傷だらけでは有ったが、全て打撲などで、しかも負傷から時間が経過しており、出血を伴う怪我などはしていなかった。ただし、だからといって疑いが晴れるわけでもない。
元就は元親を見ると、不思議そうな顔をした。それはそうだろう。元親はTシャツにジーンズという姿で、他に相方も連れていなかった。
「あー、確かに警察のモンなんだけどよ。今日はオフなんだ。だから厳密に言うと警官じゃねぇかな」
「……何の用で?」
「個人的に、あんたと話がしてみたくて。……警察のえげつない取り調べで参ってるだろうし、……あー、もちろん俺もその警察ってわけで、嫌なら追い出していいんだぜ。何しろ今日は、ただの一般人だしな」
「……」
元就はしばらく考えて、「どうぞ」と元親を中に案内した。
廊下にはまだ染みが残っている。もうここには住めないだろうな、と元親は思った。が、そう簡単に引っ越しはできないだろう。そもそも、これから生活出来るのかも怪しい。元就は天涯孤独の身となってしまった。20歳で身寄りもなく、大学生なわけで収入も無い。唯一の親族である兄を殺されて、今は不安と絶望のただなかにあるはずだ。しかし元就には参っているような様子が見られない。それもまた、疑われている原因である。
「……コーヒーか、なにか……」
「ああ、すまねぇなあ。……あ、俺も土産を持ってきたんだ、茶菓子なんだけどよ。一緒に食べようと思って」
「……」
「……あ、最初に言っておくけど、違うからな」
「……?」
元就が首を傾げる。元親は「いやな」と続ける。
「今まであんたにこう、自白を迫るような、結構強い取り調べが続いてたと思うんだよ。だから飴と鞭って奴で、俺が優しくしてあんたから自白を得ようとか、そんな気持ちで来てるってわけじゃないんだ。心配しなくていいからよ。俺は長曾我部元親っていう。あんたよりは年上だが、この際どうでもいい事だ、あんたもタメ口で遠慮なく接してくれればいい」
「……」
元就は特に返事をしないまま、キッチンに向かう。
元親の説明は、厳密に言えば嘘だ。元親は今日、オフなどではない。相方も来ている。が、近くで待機しているだけだ。家も見えないところから2、3人の警官が見張っている。犯人が戻ってくるかもしれないし、あるいは犯人である元就が逃亡を図るかもしれない。元就は油断をしていい状況ではない。ただし、元親の気持ち自体は嘘ではない。元就は疑われているが、しかし単なる犯罪被害者である可能性も高い。殺したかもしれないし、殺していないかもしれない。可能性は無くならない。だから、無暗に攻撃しても仕方がないのだ。尻尾を出すなら、とっくに出しているだろうから。
元就はコーヒーと茶菓子を用意して戻ってきた。一緒にテーブルを挟み、座る。
「……毛利元就、だ」
「うん、知ってるよ。……悪いんだが、とりあえずあんたの話が聞きたい。お兄さんとの事と、当日の事……話してもらえるかな。……ああもちろん、嫌ならいいんだ」
「……他の警官に話した事と同じだが……」
「構わねえよ、俺はあんたの口から聞きたい」
「……」
元就は一つため息を吐いて、ぽつぽつと語り始めた。
「母は、早くに病死してしまって。父と3人で暮らしていた。そのうち父も死んでしまって、兄と二人で生きていた。幸い父の貯金が残っていたので、生活には苦労しなかったが、……それも最初のうちで。兄の就職はうまくいかず、次第に困窮してきていた。それで……ストレスがたまったのだろうな」
「お兄さんが、暴力を振るい始めたのは、それから?」
「うむ」
元就はうなづきながら、自分の腕を見ている。包帯が巻かれていた。よく見ると服から青あざがいくつものぞいている。見える範囲でこれなら、見えない場所はそうとうだろうな、と元親は気の毒に思った。
「毎夜、酒を飲んでは、何か喚いて、我を打った。首を絞められたり、……蹴られたり………………」
元就はそこで言い淀んで、それ以上続けなかった。そこに続く言葉を元親は知っている。元就が受けた暴力は、傷害だけではない。だが元親はあえて追及しなかった。個人の尊厳にかかわる事だから。
「……警察の言う通り、我には動機が有る。……正直言って、確かに兄の事は憎んでいた。居なくなればいいと。死ねばいいと。……殺してやりたいと思った事も、無いとは言わぬ。だが、実行するかどうかは別問題だ。我は、ついに実行しなかった。なにもかも実行できないまま、兄は死んでしまったのだ。……本当だ」
「ああ、判ってる。……その日の事を、話してもらえるかな」
「……大学に行くため、毎朝9時15分の電車に乗っておる。その日の朝も、9時までには家を出たはずだ。正確には覚えておらぬ。兄は、リビングでテレビを見ておった。我は、……体が痛くて、目がなかなか覚めなかった。遅刻しそうだったから、急いで家を出た。だから、あまり状況は覚えて居らぬが、気になる事が無いという事は、おそらく特別な変化はなかったのだろうと思う」
「お兄さんは、何か言ってた?」
「いつ帰る、とテレビを見ながら聞いたので、6時には、と答えた。それだけだ。それが兄と最後の会話だ。惨めなものだ。我が6時に帰るまで、兄は誰にも気づかれず、血を流して転がっていたのだから」
「通報が入ったのは8時だったが? それに、ナイフにあんたの指紋が有ったのは?」
「帰宅して、電気が着いていないのに気づいて、少々不審に思ったが、家に入った。電気を着けると、兄が倒れているのを見つけた。その時はまだ目が慣れていなくて、それに気が動転していたのか、死んでいると、殺されているとは気づかなかった。駆け寄って、体に触れたら、何かが生えていて。思わず引き抜いたら、ナイフで、……それからの事はよく覚えていない。気づくとずいぶん時間が経過していて、慌てて警察に連絡をした。……それだけ、だ」
それだけ、ね。
調書にもそう書いてあった。通報時間が遅れた理由は明確ではない。ただ最後の肉親を殺害され、ショックのあまり立ち尽くしていた。それが元就の供述だ。嘘かもしれない。嘘ではないかもしれない。まだ何もかも判らない。ナイフで20回以上刺された死体を、ただ倒れていると思うのか、血だまりは見えなかったのか、何故ナイフを引き抜いてしまったのか。明確な説明など出来ようはずもない。人は時として自分でもどうしてそうしたのか判らない行動を起こす。それが不自然だと言っても仕方がない。人間はいくらでも不自然な事はする。だから難しい。疑うべきか、疑わざるべきか。
「……すまねぇな、何度も同じ話ばっかりさせちまって。あんたも辛いだろうによ」
「……いや」
「必ず犯人は捕まえる。そして社会的制裁を与える。残念ながらこの国は復讐を認めてはいないから、それで勘弁してもらいたい。……あぁ、そうだ、すっかり忘れてた」
「?」
元親が大げさにアクションを交えて言う。
「まずはお兄さんを拝まなきゃいけないところだったのに。悪いなぁ。線香をあげさせてもらえないかな」
「あ……」
元就は何故か困ったような顔をした。「だめかな」と言うと、「いや」と否定するが、しかしそれ以上の進展も無い。
「……何か、都合の悪い事でも?」
「……あ、いや、……あ……」
元就は言い淀んでいたが、やがてこのまま黙っていても勘繰られるだけだとでも思ったらしい。元親の目を見て、彼が鋭い目をしていないのを確認すると、おずおず切り出した。
「その、……先ほども、言ったとおり、……我は、兄から暴力を、受けていて……」
「うん」
「それで、その……こ、こんな、事を、言っていいのか、判らぬが……」
「……」
「……正直、兄が、死んで、少しだけ、……ほんの少しだけ、安心してしまって。……そ、そんな自分が嫌で、嫌でたまらなくて、その……兄と、面と向かって、会えないままで、……だから、その、……我は、手入れも、ましてや、線香も立てていなくて、……そ、それは、憎いとか、そういう意味ではなくて、ただ、どんな顔をして、どんな事を考えて、兄の死に、向き合えばいいか、判らず、……」
「……つまり、あんたは供養していない、それを疑われるのは怖いと」
「……」
「……判った。仕方無ぇよ、あんただって毎日怖かったんだろう。気持ちの整理が着いてから、向き合えばいいさ。じゃあ、俺は線香をあげてもいいかな? 案内してくれるだけでいいから」
優しく言うと、元就は意外だったのか、呆けたような顔で元親を見た。今までの警官は、口を開けば疑い、怒鳴りつけ、小さな事も取り上げて追及するばかりだったろうから、すぐに納得してくれる元親を不思議に思っているようだ。元就はそれを悪いようにはとらなかったらしい。「どうぞ」と静かに、奥の部屋へ案内してくれた。元就は入らなかった。
少々狭い仏間だ。仏壇の上には、元就の両親だろう写真が飾られている。その側には、ひっそりと花に囲まれた台と、興元の写真。確かに手入れもしていないのだろう、台にはうっすらと埃が積もりつつ有る。ごそごそと辺りを探って、蝋燭と線香に火をつける。
写真の中で興元はひたすら穏やかだ。優しそうな人間だ、と思う。とても家庭内暴力に走るようには見えない。ただ、優しいが故に、色々な物に負ける人間が居る。それはただ優しい人間だ。本当の優しさは、強さと共に得る物だから。恐らく興元は、弱いままに優しかったのだろう。そしてその弱さは元就にぶつけられた。その結果なのか否か、穴だらけになって死んでしまった。
静かに目を閉じて、拝む。あんたを殺した人間は必ず見つけるよ。それだけを心の中で呟いて、元親は仏間を後にする。
元就は客間でぼうっとしていた。他の警官の報告にも上がっているが、元就は日々無気力に、しかし消沈しているという様子でも無く、ただただぼうっとしている事が多いという。それがまた疑われている。人の悲しみ方は人それぞれだ。ましてや、自分に暴力を振るっていた相手ともなれば、元就の心中は複雑だろうし、先ほどの口ぶりからして、肉親の死を心から悼めない己を責めてもいる。そんな複雑な心理が、表に出るはずがない。そして恐らくその悲しいぐらい濁った感情から逃れるためにも、元就はただ、空虚を見つめて、心を無にするのだ。そうして時間が立てば、答えが出る事も時には有る。その時間を与えてやらないと、人は立ち直れない。仮に彼が犯人だったとしても、彼をそこまで追い詰めた何かと、彼は戦っているのだろう。
邪魔したな、また来るよ。
元就に声をかける。元就は特に嫌そうな顔もせず、小さく頭を下げた。嫌われはしなかったらしい。元親は毛利家を後にすると、未だにヒソヒソ話していた中年女性達を軽く睨みつけて、そのまま相棒の所へ向かった。
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二人とも変態。永遠の中二病。
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